これはイチロー氏が国学院久我山の選手達へのコーチング後のインタビュー内で語られた発言の一部である。国学院久我山の選手達は文武両道であり練習時間は平日3時間のみ。”短い時間で濃密に”限られた練習時間で甲子園を目指すには致し方ない部分もある。
筆者も高校は文武両道校の野球部に籍を置いていた。気持ちはわかる。とにかく時間がない。誤解のないように先に言っておくと、イチロー氏は常日頃から限られた時間で練習に取り組んでいるからこそ、飲み込みも早く意欲的な国学院久我山の選手達をまずは手放しで誉めていた。ただしということで、前述の発言を付け加えたのだ。もちろん、国学院久我山の選手達の現状を踏まえフォローもしていた。
筆者は高校野球のライターとして母校に足を運ぶこともある。現在の高校野球界はバイオメカニクスの部分で飛躍的な進歩を遂げている。一例を挙げると専属トレーナーの意見では科学的に見ると現在は走り過ぎることは却って体を大きくすることを阻害するため、度が過ぎた冬場の走り込みがNGになることも多い。
ちなみに、筆者は冬場の過度の走り込みが原因で1,2年共に疲労骨折等で一番大切な冬場の練習を満足に行うことが出来なかった。それもあり、Aチームのメンバーには入っていたのだが、レギュラー争いのための過度なアピールが出来なかったことは今思えば苦い思い出だ。今の時代に生まれていればと思った事すらある。だが、ふと我に返った。本当にそうだろうか。自分でその当時行われていた練習を疑うことなく我武者羅に取り組んだことは無駄だったのか。
そんなことはないと思っている。むしろ、怪我をした時にこの状況だからこそできること、例えば体を筋トレなどで別人のように大きくすることや、外から見ることでチームを客観視し、分析面で貢献するなどの意識や気付きの部分を高めることが、結果としてレギュラーへの最短距離だったと今では思っている。
筆者は必要以上の合理主義には警鐘を鳴らすべきだと思っている。これは何も野球だけの話ではない。仕事なども含めた人生観にも当てはまるのではなかろうか。確かに先人たちの失敗を生かし、それを踏まえて最短距離で課題に取り組めば一見するとすぐに自分がレベルアップしたように思える。
だが、それは本当に正解なのであろうか。時には立ち止まる必要もあるのではなかろうか。「頭だけで理解しているケースって多いと思うんですけどそれは危険」とイチロー氏も発言していたが、筆者も含めそれに共感させられたビジネスマンも多かったのではなかろうか。体感・経験の重要性を。
“紆余曲折・遠回り”これは長い人生で決して無駄ではない。筆者は今でもそう思っている。いや、そう思いたい。
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