ロシアのウクライナ侵攻から2カ月が経とうとしています。
国際問題はセンシティブで、どちらがいい、悪いといった単純な問題ではありませんが、民間人が犠牲になったというニュースを目にするたびに心を痛めています。
最近、「都内の駅でロシア語の案内表示に「不快だ」との声が上がったために紙で覆った。「差別ではないか」と批判が集まり定例会見で謝罪した」というニュースがありました。
また別の日には、ロシア語に由来する「チェルノブイリ」や「キエフ」といった表記をウクライナ語に由来する「チョルノービリ」、「キーウ」に変更する方針について、防衛研究所の山添博史さんが「配慮をすることも必要だが、ロシア語を『侵略者の言葉』と決めつけないほうがいい」と発言されているニュースを目にしました。
昨年9月、私はフットサル日本代表が9年ぶりに出場したFIFAフットサルワールドカップの取材でリトアニアに滞在していました。今回は、そのときに触れたロシア語にまつわるエピソードを紹介します。
リトアニアの運転手・ヴィトータスさんとの出会い
リトアニアに渡航したころは、ちょうど新型コロナウイルス感染症の感染者が増加していた時期でした。現地の交通機関が間引き運転をしていたことや、初めて訪れる国であること、単独行動だったこともあり、初日の空港からホテルまでと翌日のヴィリニュスからクライペダまでの移動はドライバーを手配していました。ドライバーのヴィトータスさんは60代の男性。体が大きく初対面では怖い印象があり、ホテルまでの15分では打ち解けることはありませんでした。ですが、2日目の朝に翻訳アプリを見ながら「ヨロシクオネガイシマス」とお辞儀をしてくれて胸を打たれ、クライペダまでの約300km、休憩を挟んで4時間弱の道のりですっかり仲良くなりました。
ヴィトータスさんは英語が苦手。それは、ヴィトータスさんが学生のころのリトアニアでは英語教育が禁止されていたからだと聞きました。リトアニアはロシアの支配下にあった歴史があり、1940年からおよそ50年間はリトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連の占領下にあった国です。そういった歴史を観光ガイドなどで知ったつもりになっていましたが、「それがどういうことか」はヴィトータスさんをはじめとする現地の方々を通して知ることになります。
リトアニア人は母国語のリトアニア語のほかにロシア語、ポーランド語、英語、ドイツ語など多い人では5つから6つの言語を話せるそうです。陸続きなのでポーランドやラトビアと往来があり、ハイウェイ沿いの大きなショッピングセンターを通りがかったときには「あそこはポーランド人から人気。リトアニア人は違う国へ買い物に行く。ぐるぐる回っていておかしいよね」と笑って教えてくれました。
1990年代の独立回復後、今度はロシア語教育が禁止され英語教育が導入されたので、教育を受けた年代によって話せる言葉が違うのだそう。お孫さんはロシア語がまったく分からず、たまにお互いの言っていることが分からないこともある、と。ヴィトータスさんは観光の仕事をするようになってから英語を勉強していて、ドイツ語も少し。私もドイツ語の勉強をしていたことがあるので、「”Ein Bier,Bitte(ビールをください)”は最初に覚えるよね」と笑い合い、この言葉はリトアニア語ではこう、ロシア語ではこう、日本語ではこう、と互いに教えあったり、休憩をしたカフェでは「今から行くのがこのあたり。ここから船で細長い島に渡るとニダという街があって、ここにロシア(飛び地のカリーニングラード州)との国境がある。観光客に人気だよ」と紙ナフキンに地図を書いてくれたりしました。
クライペダに到着して別れるときには「リトアニア語で”Thank you”はなんて言うの?」「Ačiū(アチュー)だよ」「あちゅー」「アリガトウ」とお互いたどたどしくお礼を言い合い、ヴィリニュスに戻る車を見送りました。日本語と旅行程度の英語しか話せない私と、リトアニア語とロシア語のネイティブで英語は勉強中のヴィトータスさん。時にはアプリや手書きを交えながら、それでもコミュニケーションはすんなり取れたように思います。(今、思い返してみてもよくここまでいろいろな話ができたものだと感心しています)
山添さんが「ロシア語を『侵略者の言葉』と決めつけないほうがいい」と言った理由。それは、「ウクライナ国内、特にマリウポリ辺りにはネイティブなロシア語話者が多い」というものでした。私にもその意味が、少しだけ分かります。歴史的な背景はあるにせよ、ロシア国外でもロシア語で教育を受け、コミュニケーションを取っている人々にとっては、日常に根づいている言葉ですもんね。
帰路のトランジットはポーランドのワルシャワでした。4月上旬には、リトアニアがロシア産天然ガスの輸入を停止したとのニュースを見ました。カリーニングラードと国境を接していることで、リトアニア国内では危機感が強まっているそうです。こうやってあのときにお世話になったり、話題に出たり、調べたりした場所を目にするたびに、あそこで出会った人たちは元気だろうか、生活に影響が及んでいないだろうか、と思いを馳せています。
これ以上の犠牲が増えないことはもちろんのこと、出自や使用する言語で迫害を受けることがない平和な日々が訪れることを願ってやみません。
コメント