【バドミントン】有田圭一が提言「バドミントンで競争を超え、環境や人と調和する」には?

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競争社会は好まれない?

 普段あまり意識されませんが、私たち人類は地球上で生活しています。数千年前までの地球は月や太陽など宇宙の力を利用して人は自然と共に生活し、いい環境が保たれてきたと言われていますが、ここ数百年で人は地球の環境を悪化させ様々な問題を起こしているのは周知の通りです。一部では資本主義社会による過度な競争が問題であるとも言われています。「競争社会をこえて―ノー・コンテストの時代(アルフィ・コーン著)」によると人は競争させるよりも協力させる方が良い成果を出すと述べられていて、東晶貿易株式会社が運営する転職メディア「転職サイト比較」が2022年6月に、男性1127人・女性1200人を対象に行った調査では、20代の77%が出世欲がないという結果が出たそうです。競争社会による環境や人への影響から、”競争”は好まれない時代へと変わりつつあるのかもしれません。

環境や人に優しいスポーツとは?

 “競争が少なく、環境や人にやさしい行動”を考えた時に、スポーツはそれらを満たすことができるのか?という疑問にぶち当たりました。経済に大きく影響を及ぼすオリンピックを考えてみてもそれに伴う開発での環境汚染はあると思われます。しかし、そのことについて私個人がここで異議を論じても仕方ないのでこの辺りにして、今回はバドミントンでは“どうすれば競争色を少なくして、環境や人に優しく調和できるのか”というテーマについて考えたいと思います。

シャトルコックは自然物

 そもそもバドミントンは球技の中でもシャトルコック(球)に自然物である水鳥の羽を使う特殊な種目です。この自然物は水鳥の羽から選別され、整形されたものですが、競技中に折れたものを再生することはできません。人工シャトルコックはあるにはありますがまだ一般的には出回っていません。それを打ち込んで得点を競い合うわけですから、思いっきり自然物である動物に悪いことをしてませんか?という感じがあります(シャトルコックの羽はほとんど中国で生産されていますが、そのためだけに水鳥が使われるわけではなく、食用にされた後の羽が使われているのでむやみに殺傷しているわけではないそうです)。

バドミントンのエコ

 バドミントンのシャトルコックは上質なもので一つ400円以上します。とても多くの人が関わっています。それをラケットで打ちますが、打っているうちに羽の部分が端の方から少しずつ破損していきます。しかしラケットフレームに当たると羽は破損します。ひどい場合にはひと振りで羽根の芯が折れます。また、そういう場合はラケット面の中央で打てていないことが多く、ストリングスを切ってしまうこともあります。道具を上手に丁寧に扱ってシャトルコックやストリングスを破損させないことが地球や環境にやさしいと考えるならば、バドミントンでいうエコは「ラケット面の中央にシャトルコックを当てる」という行動がそれに当たると考えられます。しかしラケット中央にシャトルコックを当てるのは意外と難しい。騙し合い、タイミングの取り合いの中、崩れた体勢で打たされる時も正確なインパクトが求められます。何万回も繰り返す練習の中で培われた体の使い方が試されるわけですね。

人に優しいバドミントン

 バドミントンもスポーツなので勝敗が決まります。そこからどうすれば競争要素を薄められるのか。競争を避ける傾向にある若者世代では、それを薄めることができればより調和のとれた美しい、良いプレーを出せると考えます。「絶対に勝つ!と興奮しているプレー」や「隙ばかり狙うプレー」、「諦めているプレー」は見ていても、やっていても、終わったあとも後味が悪いものです。これでは人に優しくない、つまり愛を感じません。また、「これは絶対に決める!」や「ここに打てば勝てる!」と瞬間的に考えた時はバランスやタイミングがずれ、エラーになることが多いものです。自己中心的なプレーは微妙なずれに気づけないからです。不安感や欲が前面に出ているプレーはやはり人に優しくありません。

調和のとれたラリーを作る

 バドミントンのプレーで私がとても興奮するのは、素晴らしいショットよりも相手との調和がとれた長いラリーです。色々なやりとりが行われる中で、全力で相手コートへ返す姿にその選手たちの丁寧に生きてきた人生を見ることができるからです。途中で決まってしまうのは仕方がありませんが、欲を抑え、不安感をはねのけながら決して自ら決めに行かないプレーには、お互いを尊重した愛を感じます。こういう爽やかな試合では、勝者はもちろん敗者も賞賛されるでしょう。

宇宙は愛と調和でできている

 宇宙に善悪はなく、ただ愛と調和しかありません。真(真実)・善(愛)・美(調和)とよく言われますが、それに反しないスポーツ思考がこれからは望まれ賞賛されていくのではないでしょうか。「人を追い越せ」「負かせてのし上がれ」という勝利至上主義的スポーツは少しずつ選ばれなくなっていくかもしれません。スポーツにおける愛と調和は「爽やかさ」を醸し出すことで実現されるように感じます。物や道具を丁寧に扱って地球に優しく、人と爽やかに向き合って宇宙に優しい愛あるスポーツの実現を心から期待しています。

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