7月31日にアメリカで公開される映画
「NOTHING BUT A WINNER」
は、ただのスポーツ映画ではありません。
それは、勝利への執念を加えただけのものでもありません。
社会の歴史と並行して時代にもまれる、カレッジフットボールチームの物語です。
カレッジフットボールの名門、アラバマ大学クリムゾンタイド。
その輝かしい歴史の陰に、私たちは何を見るのでしょうか。
トレイラー動画を見ていると、最初は勝者としての伝統、その栄光の継承について語られます。
しかし、やがて映像は私たちを、もっと深い、もっと痛ましい真実へと導いていきます。
アラバマ州は、アメリカの公民権運動における最も重要な、そして最も辛い舞台でした。
人種差別という、人間の心の奥底にある醜さが、長い間この土地を支配していました。
代表的なモンゴメリー・バス・ボイコット事件。その名前は、希望と絶望、勇気と恐怖が交錯する、血と涙の歴史を物語っています。
そして今も、選挙区割りにおける黒人差別、人種間の暴力が残っているようです。
この映画の主人公の一人、名将と言われたポール”ベア”ブライアント。
彼の名前は、今も多くの人の心に刻まれています。
彼が直面したのは、チームの人種統合という、当時の南部では想像を絶するほど困難な課題でした。
しかし、彼は知っていました。
もはや黒人選手なくして、真の勝利はないということを。
そして、運命の日がやってきました。
1970年9月12日、バーミンガムでの南カリフォルニア大学との試合。
この日、一人の黒人選手が、歴史を変えることになります。
サム”バム”カニンガム。
135ヤードを駆け抜け、2つのタッチダウンを奪った彼の姿は、ただの運動能力を超え、黒人選手の可能性そのものでした。
クリムゾンタイドは21-42という屈辱的な敗戦。
しかし、この敗戦こそが、変革への扉を開く鍵となったのです。
試合後、ブライアントはカニンガムを自軍のロッカールームに招き入れました
「これこそがフットボール選手というものだ」
というブライアントの言葉は、単なる賞賛を超えて、人種の壁を超えた人間としての敬意の表れでした。
その場にいた選手たちの心に、どれほどの深い衝撃を与えたことでしょうか。
この一試合が、アラバマのファンやブースターの心を揺さぶりました。
「このままでは、白人選手だけでは勝てない。
最高の選手を人種に関係なく受け入れなければ、フットボールの栄光は取り戻せない」
彼らの心の奥底で、長い間眠っていた複雑な思いに答えをもたらしました。
アラバマ州知事として、人種差別的な政策を積極的に推進し、公民権運動に抵抗したジョージ・ウォレス州知事など、人種隔離政策を支持する政治的な抵抗勢力も、
「フットボールで敗北することは受け入れられない」
という「民意」の前では、もはや強硬に反対し続けることが難しくなりました。
こうやってチームに黒人選手が受け入れられるようになりました。
それにしても驚くべきは、フットボールが人種差別と言う政治観を動かしたことです。
と言うのは表現が大げさかもしれませんが…
一本の映画のことを調べていたら、こんなところにたどり着いてわけですが…
アメリカ、そして南部言うところフットボールの立ち位置はものすごいものなんだな、と思わされました。