【相原ユタカ】ボクの愛した裏サッカー⑬特別編〜タイのデフの子供たちとの日本遠征のお話

前回のお話はこちらから

あわせて読みたい
【相原ユタカ】ボクの愛した裏サッカー12~ウガンダにて〜”角刈り選手はパワーのみ” 前回のお話はこちらから☟ https://ultrasports.jp/aihara-yutaka-soccer-thailand-jainism-in-africa/ 今回はウガンダ生活のお話でも。 ウガンダではタイ、バングラデシ...

すっかりご無沙汰してしまって申し訳ないです。

色々とバタついてまして。。。なんて言い訳をさせてもらいつつ。

今回のお話はいつもと趣向を変えまして。

夏に行ったタイのデフの子供たちとの日本遠征のお話でもしましょうかと。

誰かが言いましたね。

13歳、真夏の大冒険なんて。

常に夏の国のタイの子たちが日本の夏に大冒険に行くわけですよ。

まあ、奴らは楽しさいっぱいでしょうな。こっちは何か事件が起きないか気が気じゃないですけどね。

まず!

電車に乗るじゃないですか。みんなにここで降りるよって指示出来ないんですよ。聞こえないから。だから移動はなるべく派手なユニホームで移動させてなるべく電車の入り口を分けて6人ずつとかで大人が常に人数を数えて。

こんな心配をしながら移動してやっと日本のデフの子供たちと遭遇。

でですね。

サッカーの力は!とかさ。そんな言葉とても陳腐に思えるよね。

あれはサッカーの力じゃなく、子供たちの力だよね。そこにサッカーっていうツールが加わって出来た彼らだけのコミュニケーション。

毎回子供たちが仲良くしている姿を目にしているから少しボクの目も彼らの力になれてきた部分もあって、ボクらも子供たちがワチャワチャ楽しそうにしてるのを、普通にこんなもんだろって感じで見てたんですけどね。

今回のユタカの驚きがですよ。

日本の子供にお昼ご飯食べてるときに“お腹いっぱいになった?”って聞いたんですけど、“まだ”って言う手話がタイ語なんですよ。

この順応の速さにユタカ驚きですよ。

で、日本の地元の子供たちともサッカー交流をするんだけど、やっぱり耳が聞こえないってのは不思議と話しかけづらいらしいんですよ。

いや、そりゃ手話だもん、ハードル高いよって言いたい気持ち、分らんでもないんですけどね。

じゃあ、目の前にアメリカ人がいたら?

目の前の人がフランス人だったら?

英語とかフランス語とかなんか言葉使うようにするじゃないですか。

それと同じなんですよ。手話を使えって言ってるんじゃないんですよ。なんか伝えろって話なんですよ。ここに言語とかの壁とかがあるから多様性とかそんな話が出てくるんですけど、要は全部当たり前なんですよ。英語、タイ語、フランス語、手話。

耳が聞こえない、そういうやつなんですよ。

ただ、それを個性と呼ぶのはボクは好きじゃないから呼びませんが、要はどのレベルを当たり前とするかなんですね。

タイ語の手話で“まだ”を使った子を見て、きっとこの子はいろんなことを当たり前って思える子なんだろうなって思い、こういう子が増えることで多様性って言葉を障がい者側からなくせるんじゃないかなと思った遠征でした。

ウルスポをフォローしよう

この記事をシェア

この記事を書いた人

相原 ユタカのアバター 相原 ユタカ タイプロフットサルクラブ オーナー兼選手

2003年タイでプロキャリアをスタート。日本で一番面白いサッカー人を目指し、サッカーで痛い目に合うためその後バングラデシュとウガンダリーグでプレー。その後2009年からタイのシラチャにて日本人向けサッカースクール、ユタカフットボールアカデミー設立。自身も左手に障がいを持っているため同じような子供たちに夢を与えるため2011年からタイのろう学校でサッカーを指導。2019年からは恐らく世界初となる障がい者が活躍するプロフットサルクラブを設立。現在タイのプロフットサル2部リーグにてオーナー兼選手として奮闘中。

コメント

コメントする

top
目次
閉じる