最初はただのカードだと思った。けれど、それは想像以上に、物語を含んだ「はじまり」だった。
手にしたとき、思わず笑ってしまった。コレクションカードじゃないか。どこかゲームのような感覚があって、あ、これはリアルフットサルだけの話じゃないんだなと直感した。遊び心と、ちょっとした仕掛け。その意図が、見えるようで見えないのがまた面白い。
「たびだちのひ」と記された文字。ひらがなだから、余白がある。「日」でも「火」でもいい。意味を限定しないことで、逆に想像が広がっていく。たびだち——それ自体も、なにかを含んでいるようだった。
このカードを集めることが、旅になる気がした。たとえば「たびだち」のあとには、「しょうり」や「がいせん(凱旋)」があるかもしれない。もしかすると「はいぼく(敗北)」だって、そこにあるかもしれない。カード一枚が未来への物語を開いていた。
素材や加工も印象的だった。整っているのに、どこかに手の痕跡が残っている。温度のあるデジタルとでもいうか。ヴォルフェの人たちも、きっとこういう感じなのだろう。不器用で、飾らない。でも、その中に情がある。
カードの裏に、チームのことが書かれていた。そこには「夢を見てるのか?」と問い返したくなるような話もあった。プロリーグ、しかも世界を目指すと言いながら、当初は選手が誰もいなかったというのだ。
実際に練習を見に行ってみた。そこには、たしかに動いているチームがあった。整備されたものではなく、今まさにつくっている途中のチーム。まっすぐな眼差しで練習の準備をしていた。ちゃんとリアルだった。
何かを押しつけられる感覚は、まるでなかった。でも放っておかれるわけでもない。その自然な距離感が、こちらの気持ちの置き場をそっとつくってくれた。
支援という言葉を使うには、少し違う。参加という言葉もしっくりこない。けれど、わたしは選んだ。自分のタイミングで、自分の感覚で。
いちばん下のプランから始めてみた。無理なく続けられればそれでいい。そう思っていたけれど、すでに充分楽しんでいる自分がいる。
画像では見ていたけれど、カードの実物には違う力があった。思わず「可愛い」と口にした。愛着を持てる感じがしたのだ。女子らしさとか攻撃性のなさとか、そういう言葉ではとても足りない。もっと深いところで、触れてしまったような気がした。
このカードがすべてじゃないらしい。いくつもあるうちのひとつ。そして、これからも増えていくらしい。何かを差し出したとき、それが温かいかたちで返ってくる。やりとりと呼ぶにはささやかだけれど、ちゃんとした手ごたえがある。
これまで、支援とは「返さなければいけないもの」だった。でもこのチームから返ってきたのは、過剰な感謝や礼ではなく整えられた関係性だった。それがむしろ新鮮で、ふと自分の口角が上がっていることに気がついた。
「はじまり」を感じた。ヴォルフェがこれから、どんなふうに夢をかたちにしていくのか。それを見届けてみたいと思った。良い意味で巻き込まれた感覚があった。
これはたぶん、他人の夢の話じゃない。わたし自身の中にある「はじまり」の話。

ヴォルフェ北海道のデジタル・ジン「NOROSI Digital」
🖋️ たびだちのひ by SUGURU MIZUMASA
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