「スポーツ」で大事なことは全て”父”に教わった

今回は少し重い話になりますが、お付き合いください。

先月上旬、父が悪性リンパ腫により亡くなりました。73歳でした。父は様々なスポーツが好きで、野球、相撲、サッカー、ラグビーetc。いつも父なりの論評をしながら観戦していました。関東在住ながら、小・中学生の頃、何度も甲子園へ連れて行っていただきました。私がこの仕事をしていることも、父の影響が大きいです。父はフリーとして主にキッチン用品の実演販売をし生計を立て、私を大学まで行かせてくれました。それは、私が実際にフリーとして働いてみて、大変さは痛感しております。感謝しております。

 父は視野狭窄でした。年々その影響も大きくなっていました。しかし、そのことで特別扱いされる事を嫌いました。誰にも頼らず決してそのことで泣き言は言わず、仕事を辞めようとせず、昨年8月まで現役で働いておりました。そんな父を誇りに思います。 8月以降は介護の甲斐あり、年を越せるかどうかと言われていましたが、2022年を無事に迎え、1月下旬にはバス、電車を乗り継ぎ1人で最寄りの神社に参拝できるまで回復しました。6月に実家のあった甑島へ旅行に行くことが目標でした。

 しかし、2月7日事態が急変しました。買い物から家に帰ると父が裸でなぜか栓を抜いた状態の風呂に嵌り、寒さで震えていました。抗がん剤の副作用で足が衰え浴槽を越えられなくなりバランスを崩し転倒し、1時間半くらい嵌っていたそうです。世の中では、スキージャンプ混合団体で高梨沙羅選手のスーツ規定違反による失格判定に日本中が激怒する中、私は必死に湯舟にお湯を溜めながら、父にシャワーをかけ体温回復に努め、それでも浴槽が越えられないということで、救急車を呼び再々入院しました。入院中祖母も亡くなりました。幸い転倒時のダメージは少なくすぐに回復し一時退院しました。しかし、そこからの衰えは早く、再度ホスピスに入居後一週間で亡くなりました。

 8月に病状を告知されてからの7ヶ月間は長いようで短くもあり、とにかく色々ありました。完治は難しいということで、基本自由に。食べたいものを食べお酒もOK。眠れないということで病院で飲まされていた睡眠薬も一切禁止。ただし最低限の薬は絶対に飲む。体調などを見てステロイドの量もコントロールしました。とにかく、お互いになるべく明るく過ごすことを心掛けました。父は頑張っていたと思います。私のさじ加減次第で父はもう少し長生きできたのでは、もっとスポーツを観戦したかったのではと自問自答の日々です。

・私は、父の無念も背負いつつ、これからもスポーツを追いかけて
行かなければならない!

そう再認識させられた昨年から今年にかけての出来事でした。

ウルスポをフォローしよう

この記事をシェア

この記事を書いた人

南 英博のアバター 南 英博 ULTRA SPORTS 編集長

世界初のクラウド型スポーツメディアである「ULTRA SPORTS 」WEB版の編集長に就任。当サイトはアスリートのセカンドキャリアを応援し、将来的に様々な競技の参加者同士が自由に交流できるプラットフォームとすべく日々奮闘中。ライターとしての顔も持つ。フットサル、高校野球の取材経験あり。高校野球は主に埼玉担当。

コメント

コメントする

top
目次
閉じる