大相撲界の第73代横綱・照ノ富士が2025年1月17日、両国国技館で引退会見を開き、現役生活に終止符を打ちました。彼は今後「照ノ富士親方」として後進の指導にあたることを表明しました。その歩みは、不屈の精神力で数々の困難を乗り越えた激しいものでした。
引退会見の主なポイント
- 引退の理由: 「体の限界を感じ、これ以上の気持ちと体で土俵に立つべきではないと判断した」と語る。
- 思い出の一番: 「序二段に落ちて最初に土俵に上がった時の相撲が最も緊張した」
- 今後の抱負: 「自分に嘘をつかない力士を育てたい」
照ノ富士の不屈の相撲人生
序二段転落からの復活劇
照ノ富士はモンゴル・ウランバートル出身で、2011年に角界入りしました。2015年に大関昇進を果たしますが、膝の怪我や糖尿病の影響で2019年には序二段に陥落。その後の彼は、絶望的な状況から再び頂点に立つ不屈の精神力を見せました。2020年7月場所で幕内に復帰すると、2021年には横綱昇進を果たしました。
横綱としての活躍
横綱として3年以上にわたり一人横綱として角界を支え、通算10度の幕内優勝を達成。特に2021年夏場所からの連続優勝で横綱昇進を決定づけた名古屋場所での活躍は、多くのファンの心に残っています。
引退の背景
満身創痍の体と後進の台頭
照ノ富士の引退の背景には、膝や腰の怪我の深刻さ、そして持病の糖尿病がありました。稽古不足や痛みを抱えながらも土俵に立ち続けた姿は多くのファンに感動を与えました。同時に、若い力士たちの台頭を受け、自身の役割が終わったと感じたことも引退を決断する理由となったようです。
師匠や仲間からの賛辞
会見で師匠の伊勢ヶ濱親方は「横綱昇進そのものが奇跡に近い」と語り、照ノ富士の精神力を称賛しました。また、同じモンゴル出身の音羽山親方(元鶴竜)は「その経験全てが指導に役立つ」と、彼の指導者としての未来に期待を寄せました。
まとめ
照ノ富士の引退は一つの時代の終わりを告げるものですが、その功績と不屈の精神はこれからも語り継がれるでしょう。親方として新たな一歩を踏み出す彼が育てる次世代の力士たちに、多くの期待が寄せられています。
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