【スケートボード】故郷GYOZA-CITYの横乗り事情

宇都宮横乗りシーンの夜明けは近いぜよ!!!

…。

すみません、今日はどうしてもお伝えしたい事があり、釣りっぽく、あまり思っていない事を書いてしまいました。ごめんなさい。

知ってもらいたい事、できれば状況改善の為の助言を頂きたい事があり、この記事を書いています。

目次

近頃自分の身近で感じた「滑る環境」について

我々スノーボーダーは雪のないオフシーズンも海外のサマーキャンプや南半球やヨーロッパのゲレンデを滑走したり

NEWZEALAND OPEN開催期間中トップページに掲載された写真。大会初日の予選から出場してファイナルまで勝ち進んだ到。

さらに近年では全国各地に点在する室内ゲレンデや人工ブラシ上をアプローチしてエアーマットに着地できるジャンプ練習施設などを利用して各々トレーニングを行っているのですが

雪山以外でのバランス感覚向上にも役立つサーフィンやスケートボードを熱心に行うスノーボーダーも非常に多いです。

雪上ライディング時と同じスタンスになるスケートボードやサーフィンを楽しむスノーボーダーは多い。(写真は2014年頃)

僕も12歳の頃に始めたスケートボードの影響でスノーボードに関心を持ち、後々真剣にスノーボードの技術を追求したいと考えてプロライダーの道を志した訳ですが

スノーボードのライダーとして活動するようになってからもファンライドを楽しむスケートボードを続け、雪山と同じスタンスで滑る動きの中にスノーボードに通じる動作を多く感じたため

スノーボーダーである自分が大好きなスケートボードをオフシーズンのトレーニングとして取り組み、その結果ライダーとして活動を続けて来られたので、ライダーを目指すみんなにもオフトレとしてスケートボードに乗ってみませんか?と、ライダー育成の専門学校でスケートボード授業をやらせていただきました。

これまでスノーボードをしに行った滞在先で素晴らしいスケートパークを滑走できる機会がありましたが、そういえば僕はいつからスケートパークで滑る人になったんだろうか?と人生を振り返ってみました。

スケートパークと私

ニュージーランド ワナカ滞在中スケートパークでエアーする到

スケートボードに馴染みのない人は「え?スケボーって普通はスケートパークでやるものでしょ?」と思うのが当然だと思います。

しかし、僕は12歳で初めてデッキ(スケーターはスケートボードをこう呼ぶ事が多いです)に乗ってから数年間、スケートパークという場所へ行った事がありませんでした。

中学3年生の頃、当時住んでいた場所から自転車で20~30分くらいの場所にあったムラサキスポーツ宇都宮アムス店主催の大会が開催され、店舗の入ったビルのすぐ裏手のコインパーキングに、その日だけ特設されたバンクやクォーターと呼ばれるセクションを生まれてはじめて目の当たりにして、それらのセクションをどうやって使うのかもわからないまま大会に出場したのが僕の人生初パーク体験でした(笑)

その後、当時スケートボード担当だった仲良しの店員さんが茨城県にある公共の公園内にあるスケートパークへ連れて行ってくれて、常設されたスケートパークをはじめて体験しました。そこにはミニランプやバンクと呼ばれるセクションがあり、当時の僕は「うわー!外国みたいだー!」と、喜び狂ったようにプッシュしたのを覚えています。スケートボードを滑り始めて3〜4年が経過した頃でした。

到が生まれてはじめて滑ったスケートパーク。茨城県の当時下館(シモダテ)と呼ばれていた土地にある県西公園(写真はおそらく2000年頃)

では、その当時どこでスケートボードをしていたの?という事になりますが、恐縮ながら子供の頃の僕は、時として道端、時にはスーパーマーケットの駐車場、時に図書館に隣接した公園、時に開通していない新設された道路などなど…と、自転車のカゴにデッキを入れて移動しつつ、怒られない範囲で滑る場所を転々としていました。

ちょうどその頃、中学生だった僕らが良く目にするファッション誌でスケートブランドが取り上げられた流れもあり、同級生や下級生達もスケートボードに興味を持つ人達が増えて、お盆と正月に会える親戚のお兄ちゃん仕込みのトリックをバチバチメイクできるようになっていた僕のもとに

「どこでスケボーは買えるんですか?」「どこで滑るんですか?」「技ってどうやるんですか?」とスケートデビューしたい人達が徐々に集まりはじめました。

そんな人達を引き連れて、学校がお休みの週末に待ち合わせる日曜日、さぁスケートボードに行こう!と

僕たちはそれぞれの自転車にデッキを積んで(デッキを装着できる格好良いショーティーズのバックパックは憧れでした)向かった先は

近所の高校生が教えてくれたスケートスポット通称総合グランド(当時中学生だった僕らが注意を受けずに朝から夕方まで滑れた貴重な場所でした)と呼ばれる、栃木県民なら誰もが知っているローカル遊園地「とちのきファミリーランド」が併設した総合運動公園の陸上競技場近辺でした。

僕らが通っていた中学校から40〜50分自転車のペダルを漕いでたどり着くその場所には運が良いと上手なお兄さん達が滑っていて、トリックを教わったり、僕らの知らないスケートボードの話を聞けるという、当時全くもってスケーター同士のコミュニティを持たない僕らにとっては、とても思い出深い、大切なスケートスポットだったのです。とは言え…そこはスケートパークではないので、もちろんセクションなどは無く、広いフラット部分でフラットトリックの練習、時としてタイルの敷かれた路面から5段程度のステアを飛び降りる、時として歩道に乗ってみる&降りてみる、などの遊びをしていました。

そして現在(ココが一番知って欲しい所です)

それから数十年の時が流れ、東京五輪の影響もあってか全国各地に公共のスケートパークがたくさん建設され、僕はスノーボーダーに向けたスケートボードの練習会や滑ろう会、動画撮影などを行える場所が身近にないのかな?と思い立ち、故郷である宇都宮の公共のスケートパーク事情が知りたいと思い20年以上ぶりに中高生時代滑っていた総合グランドへ行きました。

ここに公共のスケートパークがあるとの噂を聞いたからです。

運動公園近辺の道路も綺麗で駐車場も広く整備され、かなり施設も変わっていましたが当時滑っていた陸上競技場周辺は当時のままの姿で残っていました。

しかし、至る所にスケートボード禁止の文字が…。陸上競技場近辺も滑ってはいけない場所になっていました。

看板の説明書きを読むと、公園内にスケートボード滑走可能エリアがあるので、そこ以外滑走は禁止というルールでした。

スケートボードはデッキが流れるリスクもある乗り物なので、スケーター以外の方々が大勢通行する場所での滑走は危険という事もあり「パーク以外での滑走は禁止」というケースは全国各地の公園でも良く見かけます。

しかし昔はなかった「スケートボード滑走可能エリア」が見たくて僕は早歩きでそのエリアに向かいました。

すると…?

スケートボードエリアは国体開催のために移転していました。

どうやら現在(2022年9月)栃木国体開催に向けて「スケートボード滑走可能エリア」は別の場所へ移転したとの事で今度は移転先の「新スケートボードエリア」に向かいました。

しかし!

移転先のスケートボードエリアにたどり着いてビックリ!!

工事に使う建築資材が数多く積み上げられたそのエリアは滑走禁止!

と、いう以前に閉鎖されていました。

広大な園内に数多く点在していた地図には移動のためのスケートボードも禁止と書かれていました。その文字に従い、歩いて、歩いて、ようやくたどり着いた「スケボーエリア」は移転。さらに歩いて見に行った移転先の「新スケボーエリア」は閉鎖…。

その時、僕は正直やるせない気持ちになりとても「悲しかった」です。

その時、僕は久しぶりに子供の頃抱いていた気持ちを思い出しました。「どこかに怒られずに滑れる場所ってないかなぁ」

数十年ぶりに心の中に浮かんだやるせなさや無力感をどうにか形に残したくて、できる事ならこんな気持ちになる子を減らせるキッカケにしたくて

この文章を書いてきましたが、兎に角

やるせない気持ちになりました、ぴえんです。

滑る場所がなかったら、大人は車に乗って他県にでも行けるかもしれません。ただし、子供の頃の自分が50分自転車を漕いで、汗だくでようやくたどり着いたスケートスポットが移転して、さらに新たなパークが滑走禁止の資材置き場になっていたなら…。

大げさじゃなく、悔しくて泣いたと思います。

園内の滑走可能エリアへ向かう途中、指定場所以外での滑走禁止の文字を何度も見かけ、これは公園を利用する皆さんのために守られるべき事だと理解できます。

ただ、大人が決めた場所、約束、これらを守ってたどり着いた場所に滑走可能な場所がなかったら。子供達はどうしたらいいのでしょうか?

僕がはじめてスケートボードに乗った日から時は流れ、およそ30年の時が立ち、東京五輪ではスケートボードが正式種目となり、日本人選手の活躍により、「ストリートカルチャーのスケートボード」が「スポーツとしてのスケートボード」になりました。

まだ少年少女とも呼べる若い年齢の選手たちが日本代表として滑り、世界中に感動や勇気、新たなるエネルギーをもたらしました。

全国各地で素晴らしい公共のスケートパークを滑る事ができる時代になりました。

しかし、僕の故郷栃木県宇都宮市の子供達には、まだその時が訪れていないように感じました。

長年雪山で活動を続けた僕の身体もかなりガタがきており、子供の頃のようには動けません。しかしあの頃と同じようにデッキに乗って風をきって滑る事が大好きです。

だから、僕はその時を待っています。

宇都宮スケートシーンの夜明けは、近いぜよ?ん?いや、もうそろそろ夜あけて〜(T。T)

ウルスポをフォローしよう

この記事をシェア

この記事を書いた人

藤沼 到のアバター 藤沼 到 プロスノーボーダー

10代前半から続けていたスケートボードで培った、クラシックスタイル全開の爆発的なビッグエアーを武器に、プロツアーや国内最高峰コンペAir Mix Super Sessionでのタイトルを獲得、さらにスノーボード国際大会での入賞経験もあり、長年国内を代表するトップコンペティターとして活躍する。
数多くの専門誌へライディング写真やHow to企画が掲載され
長年全日本ウィンタースポーツ専門学校で講師を続けた経験を活かし、How to本の監修&執筆
国営放送30分TV番組での出演&監修
海外キャンプでのコーチや、日本ろう者スキー協会デフハーフパイプチームのコーチを務めるなど指導力にも定評がある。
またマイクを武器にイベントを成功へと導くイベントMCとしても活躍するなど、活動の場はとどまることを知らないスーパーマルチフリースタイラー また同じ生年月日を持つ、自称芸能界No. 1スノーボーダーお笑い芸人『岩ちゃん(いわちゃん)』と共にユーモア溢れるスノーボードムービー『RIDE FOR A SMILE』を作製するなど、競技の現場以外でもスノーボードの楽しさを伝え続けている。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 記事を読んだ古い知人のベテランスケーターが教えてくれた事なんですが、このスケートボード滑走可能エリアは 
    利用可能時間が9時〜16時まで、利用者は氏名を書くシステムらしいです。

    知人『16時までじゃ誰がスケボーできるんだろう?
    学生も、社会人も無理があるよね?汗

    コロナの影響もあり、ここ2年で宇都宮もスケーターすごく増えた、しかし続けるための環境が無い…という現実がある』

    上記のように知人は語ってくれました。。。

    30年以上変わらなかった事、いよいよ変えたいです。

    未来を担う子供達のためにも。

コメントする

top
目次
閉じる