中継に関わる前は、競馬は未知の世界。ブームの立役者となったハイセイコーは、「さらばハイセイコー」の歌とともに覚えているくらい。担当と言われてしたことは、普段の勉強以外に、ディック・フランシスのミステリーや、宮本輝著「優駿」を読むという外堀学習でした(アイキャッチ画像・入社した1987年4月から開始の「スーパー競馬」は、現在も「BSスーパーKEIBA」としてBSフジで放送中)。
メリーナイスは、オラシオンに。有馬は、夢の万馬券〜
意識して初めてみたダービーは、メリーナイス優勝。翌年公開のフジテレビ映画「優駿」オラシオンのモデルに、3番人気の有馬記念では落馬もあって、4枠”ユメ”の万馬券決着を目の当たりにしました。メインの仕事は、「中央競馬ダイジェスト」開催日のレース結果を1Rあたり12秒ほどの原稿に自分でまとめ録音するというもの。新馬戦や特別レースの実況収録をこなし、生実況に備える日々です。
キャリア一年半で迎える中継実況デビュー
そして迎えた「スーパー競馬」実況デビュー〜1989年冬の”クィーンカップ “です。9頭立てと恵まれた状況ながら、一度飛び出した心臓をもう一度飲み込むくらいの半端ない緊張体験となりました…カッティングエッジ、レディゴシップが人気だったのは今でも覚えています。無事に終えホッ〜
しかし、自身2戦目”中山牝馬ステークス”に落とし穴。ギリギリで話をふった私が悪いのですが、競馬の神様・大川慶次郎さんの解説中にゲート・オープンー動揺隠せず、恥ずかしい限り。まさに二走ボケ状態で、トホホ…一歩進んで二、三歩戻る落ち込みでした。
(ウルスポ動画では”裏ベスト”の発表でしたが、”真のベスト”はこちらから〜)
過去もダメなら、現在も振るわず…
ウルスポ一番最初の投稿で今年初日の収支を発表させてもらいましたが、1月は結果メチャクチャになってしまいました。自分あるあるとはいえ、夢で見た馬券をそのまま信じて大負けし、取り返そうとして穴馬券にこだわる泥沼です(いやーでも、馬番や帽子の色、勝利騎手インタビューとか、リアルな夢を結構見るんですよね)。
流れを変えるため”フェブラリーステークス”までおとなしくしています。
ウルスポ対談動画はこちらから!
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