「ナイスイ〜ン!」と入れば、AO木さんが応えてくれる安心感とノリのおかげで、収録は楽しいうちに時間が過ぎました。と同時に、”過ぎた時間”の記憶が鮮やかに蘇ってきたのです。こにわさんに感謝の気持ちを込めて、動画内では触れていないここだけの話を記します。まずは、F1中継編ー(アイキャッチ画像は、2022年日本GP。3年ぶり鈴鹿からの中継でコメンタリー陣全員集合です〜)
4コーナーをカーブして最後の直線〜???
私がF1中継班に加えてもらったのは、入社6年目の1992年イタリアGPからです。直前のベルギーGPのタイミングで連絡を受け、慌てて本気のテレビ観戦。実況担当古舘さんによるオールージュからの挨拶を緊張とともに見守りました。初めての海外出張、スーツケースにはF1書籍をいっぱいに詰め、三宅アナウンサーの後ろをソワソワひょこひょこ、いざイタリア・モンツァです。
到着と同時に、第2期ホンダの撤退発表が重なり現場大混乱…
まだ何の知識もない私には、自分の仕事あるのみ。F1実況デビューまでのドキュメント・バラエティの始まりです。フリー走行1回目で実況の練習〜とにかくクルマのスピードと音に圧倒され、ヘルメットの見分けさえ無理な状況。フェラーリ以外は、マーチとリジェをひたすら連呼し「さあ最終4コーナーをカーブして」って、いくら超高速モンツァとはいえそんな訳ないし。画面は反射神経をテストと、イモリ?トカゲ?警備スタッフなどが次々スイッチングされお手上げのうち終了です。夜はイタリアン・レストランで、飲めないお酒を自ら進んで一気飲みし、ホテルに連れ帰されました。
オフのテストで目隠しされて
翌93年は、オフのテストから現地へ(どこだったか覚えていません、ヘレス?エストリル?ムジェロ?…)。今宮さんの解説を聞きながら、やがて目隠しをされて”エンジン音当て”をさせられました。V8・V10・V12、うーん、こうなるともう不安しかない。
実況デビュー戦カナダからの第一声は…
1993シーズンは、プロスト復帰だったか。ホンダと別れたセナは、雨のドニントンで存在感たっぷりの優勝を飾る前半のハイライトから、モナコでプロストはエンジンストールの悪夢。そして迎えた第7戦カナダGP、解説の森脇さんからは週末通じて日々励ましを受け、いよいよ本番となりました。…(えっ、マイクのスイッチを入れ忘れた、音声さんごめんなさい)いきなりのミスで、前戦のプロフェッサー・スタートミスでうたいあげる煽りどころではない。レース中は、セントローレンス・シーウェイを周回数以上に言い続けたような。モントリオールで食べたソフトシェルクラブの美味しさだけが良き思い出です。
と、負の記憶ばかりで、その年残りの担当2戦がドイツ?ベルギー?なのかどうかも、もう思い出せなくなってきました。ということで、残念ですが今回はこの辺でお別れです。ちなみに、ウルスポ・プロフィール写真”イッツミラクル塩原”は、グランプリ情報番組「F1ポールポジション」内で古舘さんに命名していただきました!
ウルスポ対談動画はこちらから!
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