どうも、レインです!
今年のF1もあっという間に前半戦が終わりサマーブレイクに入りましたね。
F1ファンの方はレースがなく悶々とした日々を過ごしているところではないでしょうか?
しかも再開後はベルギー(スパ・フランコルシャン)、オランダ(ザンドボールド)、イタリア(モンツァ)と往年の名コースでの開催が続くので、再開が待ち遠しいですね。
そこで今回は、後半戦再開に備えて、次戦が開催されるベルギーGPの歴史や、スパで行われた過去の名レースを振り返ってみたいと思います。
ベルギーGPの歴史
ベルギーGPの歴史は古く、初開催はF1が発足する前の1925年でした。
初期のベルギーGPは現在も開催されているスパ・フランコルシャンを舞台にレースが行われ、F1が発足した1950年以降はF1のシリーズ戦として開催されるようになりましたが、当時は全長14km以上の超ロングコースでした。
しかし、森の中を超高速で走行する中盤セクションは危険な要素も多く度々重大事故が起こっており、1969年と1971年には安全上の懸念からレースがキャンセルされる事態となります。
その後、ベルギーGPは危険なスパではなく、ニヴェル、ゾルダーを舞台に開催されるようになりましたが、ニヴェルが後に経営破綻、ゾルダーでは1982年にジル・ヴィルヌーブの死亡事故が発生してしまいます。
すると1983年からは問題のあった高速セクションを廃止し、コースレイアウトを大幅に変更したスパで再びベルギーGPを開催。
現在のコースに近いレイアウトになりました。
この新レイアウトでの開催がドライバー、ファンに大好評。
これにより1984年以降のベルギーGPはスパでの開催が続くようになり、開催契約問題などで開催されなかった2003年、2006年を除き、毎年開催。
F1における名物コースの一つとして数えられるようになっていくのです。
過去の名レース
1991年 ベルギーGP
あのミハエル・シューマッハがジョーダンからデビュー。
予選でいきなり7番手を獲得してその才能を多くの人が知ることになったレース。
シューマッハは決勝でリタイアに終わったものの、レース後ベネトンに引き抜かれ1年後のベルギーGPでF1初優勝。
スター街道を歩んで行きました。
さらにこのレースではジョーダンのもう一台、アンドレア・デ・チェザリスも終盤まで2位を走行。
トップを走るアイルトン・セナに迫る走りを見せてファンを沸かせましたが残念ながらトラブルでリタイア。
ジョーダンの2台が大活躍のレースでした。
1998年 ベルギーGP
雨の中開催されたこの年のレースではスタート直後に12台が絡むF1史上最大とも言える多重クラッシュが発生。
再開後も雨による混乱が続き、トップを快走していたミハエル・シューマッハが周回遅れでスロー走行していたデビッド・クルサードに接触してしまいリタイア。
ミハエルは鬼の形相でマクラーレンのピットに「殴り込み」に行くという事態になりました。
レースは無限ホンダエンジンを積んだジョーダンのデーモン・ヒル、ラルフ・シューマッハがワンツーフィニッシュを達成。
チームにとっての初優勝を達成しました。
2000年 ベルギーGP
レース序盤、トップを走っていたミカ・ハッキネンがスピン。
これによりミハエル・シューマッハに首位の座を譲りましたが、中盤にタイヤ交換を済ませると、ハッキネンはシューマッハを驚異のペースで追い上げ差が詰まると、2台は接戦で激しい攻防を展開。
そして41周目にハッキネンはケメルストレートでシューマッハに仕掛けます。
周回遅れのリカルド・ゾンタを挟んで3台横並びになりながらシューマッハを抜き去りトップに立つとそのまま優勝。
この豪快なオーバーテイクは20世紀最高のオーバーテイクとも称され、現在でも語り継がれています。
2012年 ベルギーGP
日本のファンにとってはある意味印象深いレース。
予選で小林可夢偉が自己最高の2番手につけ、日本人初のフロントローを獲得。
決勝での活躍が期待されたものの、レースではスタート直後にロマン・グロージャンがルイス・ハミルトンに接触したことを発端に発生した多重クラッシュに巻き込まれてしまい最後尾まで後退。
多くの日本人ファンが意気消沈したレースでした。
当時、危険な走行が問題視されていたグロージャンはまたしても問題を起こす形となり、ついに1レース出場停止処分と罰金が下されることになりました。
まとめ
ということで今回は次戦ベルギーGPの歴史、印象的だったレースをまとめてみました。
開催契約問題に揺れているスパですが、ドライバーやファンの評価も高い名コースだけに今後もF1開催が続いてほしいですね。
次回もF1を楽しく観るための雑学をお届けします!
それでは今日はこのへんで!
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