現在全国各地で開催されている天皇杯(全日本サッカー選手権大会)都道府県予選。J3リーグやJFLのチームが登場してくるところもありますが、去年までそんな状況だった我が岩手県は今年は東北社会人・大学リーグ勢の戦いになり、4月24日に準決勝が行われました。
岩手・東北社会人サッカー界の「伝統の一戦」!
準決勝の会場は遠野市にある国体記念サッカー場。1970年と2016年の二度開催された岩手国体でサッカー競技を開催した歴史あるフィールドです。
盛岡ゼブラは準決勝で日本製鉄釜石と対戦しました。ゼブラと釜石は以前にも書きましたが1977年の東北社会人サッカーリーグ発足当時からのライバルでした。更に言うとそれ以前の1970年岩手国体でも県代表メンバーを両チームで占めたこともあり、岩手サッカー史において「伝統の一戦」と呼ぶに相応しい対戦です。
近年は遠野高校卒の若者を多く入れている釜石が優位に立っている状況ですが、ゼブラも今年は元グルージャの選手を加入させて巻き返しを図りたいところ。意地と意地とのぶつかり合いになりました。
ゼブラのメンバーはGK熊谷蘭丸、DF藤村健友・岡田祐政・佐々木航・上山愛史、MF薄井朋也・林勇介・中村勝・谷村憲一、FW山谷紘大・森川龍誠。リザーブで元グルージャの益子義浩、加藤浩史、大橋康史が名を連ねていました。特に益子といえば福島ユナイテッドにいた10年前の天皇杯で当時J1在籍のアルビレックス新潟を倒すゴールを決めたことがあります。
前半戦
前半戦は釜石のキックオフで試合開始。期待のルーキーFW阿部亮太(遠野高校~富士大学)の動きがよく見えました。一方のゼブラも中盤から前線へパスをつなぎ、チャンスを作りたかったのですが、詰めが甘くシュートを打つまでには至りませんでした。
時間が経つにつれてゼブラも左右のクロスやくさびのパス(所謂縦パス)でFW山谷へボールを集めますが、釜石の最終ラインに阻まれました。釜石もFW本間達耶が再三鋭いシュートを放ちましたが、枠を捉えることができませんでした。
こうして前半は両者無得点で折り返しました。
後半戦
後半戦、ゼブラは山谷に代えてMF益子を投入しました。上背のある山谷を下げて中盤の選手を入れて中盤の厚みを増した感じですが、それが結果としてプラスに出ました。
62分、谷村が角度のあるところからシュート、これが右隅に突き刺さりゼブラが先制しました。この試合でも何度かチャンスがあり、シュートも打っていた谷村ですが、ようやく1点決めてくれました。
その後釜石が阿部が負傷したタイミングでFW仲上達也を投入、アタッカーの本間とともに何とか同点に追いつきたいところでしたが、ゼブラの最終ライン、そして何より昨年まで釜石にいたGK熊谷の奮起で最後まで釜石の猛攻を防ぎ、逃げ切りました。
試合後
結局谷村のゴールによる1点を守り抜いたゼブラが決勝進出。これで次回大会の準決勝シードの権利を獲得、そして19年ぶりの天皇杯出場へあと1勝となりました。続く第2試合では富士大学がFCガンジュ岩手に2-1で勝利し、決勝戦は盛岡ゼブラVS富士大学となりました。
試合終了後、岩手日報の記者が岡田選手兼任監督にインタビューしていましたが、その話の中で盛岡ゼブラの現実を語っていました。
うちは練習も週1か、週2程度で、しかもなかなか集まらない。それに試合の時も常にメンバーが変わるから、メンバーのやる気とか経験頼みなところがある。
考えてみればここまで対戦してきた相手は大学や企業のバックアップを受けてきたチーム。それに向上心のある「Jリーグ・JFLを目指す」チームも含めると、ゼブラは明らかに格下かもしれませんが、それを選手一人ひとりのやる気で跳ね返すことができたのだと思います。
今年のゼブラのメンバーには東北リーグ~J3リーグ時代のグルージャに在籍していた選手が多く、東北社会人サッカーリーグの公式サイトで確認したところ12人いました。そこに盛岡商業高校が全国高校サッカー選手権を優勝した時のメンバー、フットサルのFリーグでプレーしたこともある選手もいるんです。
そんな盛岡ゼブラですが、いよいよ次は富士大学との決勝戦(天皇杯代表決定戦)。富士大学はスタッフに既存の吉田暢コーチに加え、鳴尾直軌氏も加入。この両氏はグルージャの東北リーグ時代の監督でしたので、事実上10年以上前のグルージャの師弟関係が今年ぶつかることになりますね。ゼブラとしてもこの2年富士大学に負けているので、ここで倍返しと行きたいところです。
岩手県サッカー選手権決勝戦は5月8日(日曜日)10:00から、紫波町の岩手県フットボールセンターで行われます。盛岡ゼブラの活躍にご期待ください!
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