【相原ユタカ】僕の愛した裏サッカー② 〜バングラデシュの地方遠征編〜

前回のお話はこちらから

タイで経験した海外の洗礼。ボクの愛した裏サッカー~賭けサッカー編~

今日はバングラデシュのお話でも。

チームと契約して、試合にも出ていた頃のお話。

その日は休日でボクは家でゴロゴロゴロゴロしてました。すると1本の電話が。「ユタカ、今から試合だからすぐにチームの寮に来い!」って横暴な電話が来ましてね。Noと言えない日本人と言うけどここは違った。Yesと言わせるベンガル人って具合の強引な通達。

行くしかない・・・。

急かされ急かされて、急いでいくと1時間ぐらい出発が遅れるんですよ。まあ、海外なんてこんなもんですわ。

さて、この試合。地方に行って村のチームと試合するんですよ。地方のお偉いさんがどこからかチームを呼んで、自分の村のチームと試合をさせて、村の娯楽とするみたいです。

ただ、この村ってのがやたら遠い。野を超え山を越えではないですが、まずは川をボートで渡ります。そのボートも途中で後ろが沈みそうになったから、みんな前側に乗れなんて指示を船頭さんに受ける始末。

なんとか岸まで辿り着き、次に乗るのは人力車。キコキコシャカシャカ漕がれること20分。「スタジアムはあそこだ」って言われて見た先には田んぼが。英語が堪能ではないベンガル人のチームメイト。彼の中では“スタジアム=広い草の生えてる平地”らしいです。

実際に平地に木の棒で作られた、農地の中にあるグラウンド。それで驚いたボクはまだ海外裏サッカーを知らなかったんですね。

まず、審判。思いっきりサラリーマンが履く革靴なんですよね。しかも、靴下もそれとセットかのようなサラリーマンの履く脛くらいまでの黒いソックス。なのに一応審判ユニホーム。もう、何でもいいみたいです。

更には相手選手。半分以上が裸足でした・・・。

一応、伝えておきます。ボクらはプロチームです。なのに村でこんな試合をしてるんです。

帰りの人力車に乗る頃はすでに日が暮れて。

人力車から見える蛍の光が、ボクのやさぐれた心を癒してくれましたよ。

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この記事を書いた人

相原 ユタカのアバター 相原 ユタカ タイプロフットサルクラブ オーナー兼選手

2003年タイでプロキャリアをスタート。日本で一番面白いサッカー人を目指し、サッカーで痛い目に合うためその後バングラデシュとウガンダリーグでプレー。その後2009年からタイのシラチャにて日本人向けサッカースクール、ユタカフットボールアカデミー設立。自身も左手に障がいを持っているため同じような子供たちに夢を与えるため2011年からタイのろう学校でサッカーを指導。2019年からは恐らく世界初となる障がい者が活躍するプロフットサルクラブを設立。現在タイのプロフットサル2部リーグにてオーナー兼選手として奮闘中。

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