「月曜から夜ふかし」出演の齊藤晃が”仙山決戦”を中心に東北社会人サッカーの歴史を語る!

6/25 J2仙台対山形が行われたユアテックスタジアム

 こんにちは!岩手県盛岡市でサッカーを中心にスポーツネタを書いている齊藤晃です。

 去る6月25日、仙台市のユアテックスタジアム仙台でJ2リーグ・ベガルタ仙台vsモンテディオ山形を見ました。試合結果は1-1の引き分けでしたが、今回注目したのは入場者数。今年は仙台、山形にブラウブリッツ秋田、そして我がいわてグルージャ盛岡と4チームがJ2に参加していますが、仙台での試合は今回の山形戦で早くも全部終了となります。その3試合と、山形で行われた同一カード(山形対仙台)の入場者数を見ていこうと思います。

3/12 ベガルタ仙台vsいわてグルージャ盛岡 7207人
5/1 ベガルタ仙台vsブラウブリッツ秋田  9612人
6/25 ベガルタ仙台vsモンテディオ山形   15372人

3/20 モンテディオ山形vsベガルタ仙台   11456人

 どうですか?モンテディオ山形との試合が圧倒的ですよね。岩手なんか半分以下…実はこの2チームは1990年代、東北社会人サッカー史上最高の戦いをしていました。

目次

歴史ある「みちのくダービー」仙山決戦!

 そもそもベガルタ仙台とモンテディオ山形が初対決したのは1989年の東北社会人サッカーリーグチャレンジマッチです。この翌年(1990年)にチャレンジマッチを制したモンテディオの前身NEC山形が東北リーグ昇格即優勝を果たし、翌年にはベガルタの前身東北電力が後を追うように昇格しています。この当時東北リーグを連覇したのがTDK、今のブラウブリッツ秋田でした。

 1991年から3年間の対戦成績はNECの4勝2分け。そして東北4連覇を果たしたNECは1993年末に全国地域リーグ決勝大会2位に入り、その後のJFL再編に伴うプレーオフでJFL昇格を決めました。一方の東北電力(1994年にブランメル仙台と名乗るようになった)も翌1994年にリーグ優勝、地域リーグ決勝大会で優勝してJFL昇格とまたしても山形の後を追うような形で進んでいきました。なお、この昇格時に地域決勝2位に入ったのが1992年に東北リーグ昇格の福島FC(福島ユナイテッドとは別物。福島FC自体は1997年に解散したが、この当時のアマチュア選手らが福島FCから分離してできたのが現在東北1部のFCプリメーロ)でした。また、この昇格で空いた東北リーグの枠に入ったのが現在JFLに所属するソニー仙台FCなんです。

 その後は1995年から1998年までJFL→1999年J2と戦いの場を移し、2010年ついにJ1で対決となった際に正式に「みちのくダービーマッチ」と名付けられました。JFL時代までは山形が優勢だったイメージがありますが、2000年以降は仙台が勝つか引き分けの試合が増えましたね。

2010年宮城スタジアムでの「みちのくダービー」

 ここまで書いてて、東北サッカー古参ファンには感慨深いものがあるな…と自画自賛です。この部分については東北社会人リーグプログラム、盛岡ゼブラ50周年記念誌などの資料を参考にしました。

東北社会人時代の仙台・山形の功績

 さて、東北時代の両チームの話に戻しましょう。実は東北電力、NEC山形共に全国区で名を上げたのは東北社会人リーグ在籍時のことでした。

 東北電力は1991年の全国社会人サッカー選手権に初出場でベスト8入り。1993年には第3位入賞を果たしています。この年は東四国国体成年男子(宮城県選抜)が徳島県(大塚製薬=現在の徳島ヴォルティスの前身)と優勝を分け合い、また天皇杯東北代表の座をNEC山形から奪取して天皇杯初出場。初戦を突破した後鹿島アントラーズにジーコの芸術的なシュートなどを決められ大敗しましたが、これが仙台にJリーグを作ろうという機運につながりました。

 NEC山形は1990年以降地域リーグ決勝大会で惜しいところでJFL昇格を逃し続け、前述の通り4度目の挑戦で1993年にJFL昇格を果たしています。その他の大会では1991年には東北電力同様全社初出場でベスト8入りを果たし、翌1992年には山形べにばな国体のサッカー成年男子のチーム(元々が国体強化指定チームだった)として参加し6位入賞(ベスト8)という成績も残しています。

 ここにTDKや福島FCも加わっていた1990年代前半、Jリーグ誕生を挟んだ当時が東北社会人サッカーの第1次黄金時代だったのではないかなと思います。ちなみに第2次は前にも書いた2010年代、2年に1度地域リーグ決勝大会を優勝するジンクスが生まれましたね。

雑感

 最後になりますが、仙台と山形はサッカーに限らずバスケBリーグでも「仙山戦」(仙台89ersと山形ワイヴァンズの対決)が生まれるほどライバル関係が出来ています。山形は秋田と「J2奥羽本戦」と銘打ってましたし。

 それに比べて岩手は何なんでしょうね。90年代半ばに盛岡ゼブラが一度はJFLを目指そうとしたことはあるのですが福島FCの解散や仙台の財政難もあって二の舞を恐れたフロントのせいで頓挫しました。それから岩手が現在の立場になるまで15年かかったんです。その間岩手は何をしてたんだと、東北ダービーの現実を見て悔しく思いますね。

2022/3/12 仙台に完敗の岩手イレブン(筆者撮影)

 東北社会人の第一世代と第二世代が激突する今年のJ2リーグですが、いわてグルージャ盛岡のホームゲームは土曜日が多いです。盛岡ゼブラのホームゲームが日曜日にあるので、もしかしたら土曜のグルージャ戦の後に盛岡で一泊してゼブラを応援しようということなんでしょうか?だったらJの日程さんには非常に感謝しています。

 よかったら盛岡市大通にあるスポーツバー「クロスヒート」で一夜を明かしてみてはいかがでしょうか?詳細は各種グルメサイトをご覧ください。

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この記事を書いた人

齊藤晃のアバター 齊藤晃 「月曜から夜ふかし」出演 盛岡ゼブラサポーター

1979年3月11日 岩手県盛岡市生まれ
高校時代より東北社会人サッカーの盛岡ゼブラサポーター。
2018年にテレビ「月曜から夜ふかし」に出演したが、それ以前から地元メディアに寄稿、出演している。

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