出典元:ぴあ
世紀の一戦と言われる軽量級キックボクシングのビッグマッチ、那須川天心vs武尊の開催まで3週間と迫る中、突如地上波放送の中止を発表したフジテレビ。
17年前のPRIDE消滅からRIZIN誕生までの「失われた10年」を体験した者ならついついフラッシュバックしてしまうフジテレビの地上波撤退だが、格闘技業界は17年前と同じ悪夢を繰り返すのか、それともこれを機に新たなステージに向かっていくのか。
賛否両論が繰り広げられているこの地上波放送中止問題だが、時代の変化、感情的な背景と、ビジネス的な側面、この3つの視点から取り上げてみたいと思う。
テレビと広告
まず、時代の変化についてだが、テレビと広告の関係を振り返ってみたい。
これは格闘技に限ったことではないが、こと日本では「テレビ」というものは有史以来とにかく無料で視聴するものであり続けた。
ビジネスモデルとしては放送局にCMの広告主がスポンサー料金を支払い、そこからコンテンツの制作費が生み出されたわけだが、インターネットの出現が世の中の広告の仕組みを大きく変えてしまった。
インターネット以前の広告というのはその広告を見た者が商品なりサービスなりに興味を抱く、あるいは顧客になり得るか否かに関わらず、一方的に垂れ流されるものであった。
例えば電車の吊革広告や、駅前の看板などもそうだ。
テレビの広告というのは不特定多数の人にばら撒かれるものであり、その最大の理由として、ぼんやりと「誰もが目にするものがテレビである」という前提があった。
しかし、インターネット広告は閲覧者の属性をAIが読み取り、ビッグデータを基にその人に合った広告を表示できるものであり、広告主にとっての”無駄打ち”が激減した。
加えて、若年層はデジタル化に順応しやすいので、いつでもどこでも時間や場所に縛られることのない動画コンテンツを好むようになり、それによって若者のテレビ離れが進んだ。
そうやってテレビは”誰もが見るもの”からデジタル化に疎い”高齢者が見るもの”に傾倒していく。
しかし、広告主の広告予算は限りあるもので、インターネットに流れた広告費はそのままテレビ局の予算を圧迫していくようになった。
これを読んでいる人で実際にインターネット誕生以前と同じようにテレビを見ている人はどれくらいいるだろうか。
テレビというものをキチンと朝から見てみると、ほぼ明け方から夕方までドラマの再放送を除けば生ワイド番組が全ての民放で流れていて、収録番組は非常に少ない。
取り上げている内容といえば週刊誌の報道をパネルに書いて読み上げ、時間帯によって次々に登場する知識人風のタレントによって世の中を斬ったようなコンテンツが散見される。
だがあくまでも地上波放送はビジネスであり、視聴者のニーズに寄せた番組づくりである事は間違いない。
つまり、多くの地上波放送の視聴者がスマホで動画コンテンツを見ない高齢者であり、彼らのニーズに球を投げているというのが、概ね現実的な番組制作と言えるだろう。
夕方以降のドラマに関していえば、Amazon prime videoやNetflixなどのストリーミング動画配信サービスの世界規模配信を背景にした、ハリウッド映画並みの制作費をつぎ込んで作られる壮大なテレビドラマの世界観に遅れをとっていると言わざるを得ない。
加えて、時代と共にコンプライアンス遵守という名の自主規制によって、できるだけ波風の立たない内容を放送せざるを得ない地上波テレビはもう一歩踏み込んだ”危ない匂い”のするエンターテイメントを提供する事が難しくなりつつある。
こうした様々な時代背景もあって、「テレビは斜陽産業」「テレビはオワコンである」という論調が囁かれている。
地上波中止で漂う格闘技界の感情的な側面
それでは、今回のフジテレビ地上波放送撤退に関する感情的な側面について触れてみたい。
テレビを取り巻く視聴者の生活環境の変化と広告の仕組みと、格闘技業界の関係性はどうだろうか。
テレビドラマやバラエティ番組と、格闘コンテンツのポジションはやや違う。
そもそも地上波というステージが存在していたのがドラマやバラエティであり、タレントや俳優たちが成功するという事はテレビで見られる存在になるという事だった。
しかし、格闘技はそもそも地上波で放送されるものではなく、数少ない競技としてボクシングがあったくらいだ。
キックボクシングやMMAが野球やサッカーと並んでメジャースポーツとして取り扱われる事はなく、長らく苦しい時代が続いた。
キックやMMAでチャンピオンベルトを巻く事と、成功はイコールではなかったのだ。
93年にヘビー級の大男たちがKOの山を築くK-1が誕生すると潮目は変わり始めたが、体格的に活躍できる日本人は少なく、TBSとK-1が仕掛けたK-1 WORLD MAXシリーズで魔裟斗がスター選手になったり、MMAで桜庭和志や山本KID徳郁のような日本人選手の登場で、ようやく格闘家が格闘技で飯を食える時代の夜明けが来たと言われている。
挫折を味わいながらも、大晦日格闘技興行は20年以上行われており、2015年にRIZINが誕生し、地上波に格闘技が戻ってくると、”地上波で格闘家として試合を見せる事”は格闘家にとって大きなステータスとなった。
「大晦日に試合をしたい」という旨の発言を格闘家たちはよく口にするが、それはつまり「地上波で試合がしたい」という意味の場合が多いのではないだろうか。
PRIDE消滅後の格闘技界の”失われた10年”は競技者を退いて指導者になった人たちや、プロモーター、現役のピークをその10年の中で迎えてしまい陽の光を浴びる事がなかった人たち、その10年さえファンであり続けた人たちにとっての強烈なトラウマだ。
だから「魔裟斗vs KIDを見て俺もああいう試合がしたいと思った」、「今の子供達にも見せてあげたい」という武尊や那須川天心の感情は至極当然なのだ。
若者のテレビ離れが進み、Youtubeやサブスク課金型の動画配信プラットフォームがいくら整備され、PPV文化が少しずつ日本に根付き始めたとしても、PPVがいかに売れないかを味わいすぎた格闘技業界にとって、2022年現在の実態がどうかはさて置き、イメージとして地上波放送というのは今でも強烈な発信力のある存在だ。
地上波放送に拘る両選手と彼らのファンは、ここに至るまでのストーリーを背負ってこの問題を見ている人達が多く、感情的な側面で地上波放送を望む気持ちは理解できる。
格闘技というのはつくづく妙な競技だ。
人間が2人、身体一つで大勢の前に登場して、わざわざお互いを殴り、蹴り、時には関節を曲がらない方向に極め、首を絞める。
マーシャルアーツという競技の行為自体には何の生産性もないし、リスクの方が高い。
それでもファンはその姿から何かを感じる。
時には鼻の奥が熱くなったり、胸を鷲掴みにされたりするのだ。
人生や命を削ってリングに上がる格闘家であれば、より多くの人にその姿を見てもらい、戦う事で伝えられる物があると信じている。
何故ならかつての自分だって、スーパースターだった格闘家から確かに受け取った、理屈を超えたそういう感情があるからだ。
だから、よりハードルの少ない無料で見られるプラットフォームに拘るのは当たり前なのだ。
地上波はない方が良いというもう一つの感情
那須川天心と武尊の感情を理解する多くの関係者やファンたちは、地上波無料放送をすべきだという論調だが、一部にはこれがいいキッカケであり、格闘家のファイトマネーや格闘技の未来そのものを考えた場合には、地上波放送を脱却したビジネスに転換した方がいいと唱える人もいる。
朝倉未来はその旨の発言をTwitterで呟いて炎上気味になり、言葉足らずな部分を説明する動画を発表して話題になっている。
日本人格闘家と世界の格闘技業界を比較した場合、国内プロモーションのファイトマネーでは食べられない格闘家が非常に多いのは歴然たる事実だ。
PPVで売れる興行でなければ、前途の若者のテレビ離れも考慮した場合、格闘家の経済的環境がより良いものにならないというのが、脱地上波を唱える人たちの主張と言えるだろう。
実際問題メジャープロモーションの試合映像を無料放送しているのは世界中を見渡しても日本くらいで、結果的にその煽りを最も受けているのは、他でもないファンが心の底から応援している格闘家なのだ。
「未来ある子供たちにこの試合を見せたい」という出場選手の感情に対して「その気持ちはわかるが、このままで本当に未来があるのか」というのがもう一方の感情だ。
確かにPPV放送でファンがダイレクト課金をする興行が当たり前になれば(収益にもよるが)選手の環境は良くなっていくのかもしれない。
そういう意味では格闘技業界はコンテンツの販売方法について過渡期にある。
「まだ早い」という感情と「この試合こそがいいキッカケじゃないか」という議論なのだが、キックボクシングのプロ興行でこのメインイベントとK-1とRISEのチャンピオンが集まったこの大会以上の熱が生まれることは考えにくい。
であるならば「このキッカケを逃してもいいのか」、「格闘技のPPV文化が根付く最大のチャンスではないのか」というのがもう一つの感情であり、このもう一つの感情を擁護する意見も多数あるのは、その為だ。
地上波かPPVかのビジネス的な側面
それでは、実際に格闘技を放送するという事のビジネス的な側面を考えてみたい。
5月31日の記者会見を見た人がどう感じたのかは非常に気になる部分だが、筆者の所感では榊原委員長の口振りでは放映権料がそこまで高額というわけではなく、経済的損失に困惑しているようには感じられなかった。
どちらかというと自身のダーティなイメージにこの問題が起因している事への贖罪の感情や、両選手の想いに寄り添えない結果になってしまった事への憤りを話しているような印象だった。
それは何故かを考えてみると、AbemaでPPVを売る自信があるからではないかと考察する。
RIZINは昨年から配信特化型の興行でRIZIN LANDMARK(以下LM1)を展開しているが、第一回大会は配信プラットフォームのU-NEXTをパンクさせるほどのセールスを記録した。
今や日本MMA最大のアイコンと言っていい朝倉未来がメインイベントという事もあって、主催者やU-NEXTの予想をはるかに上回ってよく売れたが、武尊vs那須川天心であれば、国内の関心はLM1の比ではない。
フジが地上波無料放送しないという事は、会場でLIVE観戦するか、PPVしか視聴方法がない事を意味する。
チケットは5万枚が即完している今、チケットを持たぬ人々にとってはAbemaのPPV視聴がたった一つ、この試合を観戦する方法だ。
おそらくPPV放送という格闘技の視聴手段が日本に誕生してから今日に至るまで、このカードほど売れる試合は存在しなかったし、先に触れたインターネットによる人々の生活環境の変化と、配信プラットフォームの利便性の向上で、このPPVは格闘技の最高販売件数を樹立するだろう。
そういう意味では、前途の無料視聴派の感情を抜きにして考えると、ビジネス的は”勝つ”のかもしれない。
フジテレビから得られる放映権料とPPV課金を比較した場合、このカードはPPV売上の方が利益が多いという見方もあるのだ。
意外と語られない格闘技地上波放送の弊害
THE MATCH 2022の地上波放送中止で格闘コンテンツのPPV視聴という手段が今後更に”普通のこと”になっていくのは容易に想像がつくが、それはどういう事を意味するのか。
地上波放送がある他のメジャースポーツと格闘技が最も違うポイントは、地上波の有無によって対戦カードが変わる事だ。
野球やサッカーのW杯予選で、地上波放送の有無でスタメンの選手が変わる事はない。
地上波放送の有無に関わらず試合は開催され、スタメンに関わらず放送されるだけだ。
仮に試合の中継で視聴率が稼げなくなったら、放映権料が安くなったり、放送そのものを中止してテレビ局は中継から撤退する。
格闘技はそこが全く違う。
不思議な話だが、実際プロモーションを支えているのは地上波放送がなくても現地観戦をしたり、PPVを購入するハードコアなファンだが、地上波放送がある興行では望まれないカードがしばしば組まれる。
”階級”という格闘技における最も大きな要素を飛ばしてみたり、変則ルールを組んでみたり、大晦日にしか出場しないYouTuberが出場したり、有名人の息子、他競技からの転向する選手のデビュー戦etc挙げればキリがないが、何故こういう事が起きるのかと言えば、ストーリーを背負って観ないライト層にも興味を持ってもらう為だ。
かつて、旧K-1は曙vsボブサップを皮切りに谷川モンスター路線へシフトした。
元横綱が当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったサップと戦うのだ。それはすごい注目度だったし、実際著者もナゴヤドームに観に行った。
結果的に視聴率は取れたが、しかし本当のキックボクシングファンは旧K-1から離れてしまった。
一方、PRIDEはそういう意味ではやや硬派だった。
もちろん興行なので、そういう客寄せ的なイロモノカードがなかったわけではないが、どちらかといえば実力主義だったし、当時のPRIDEファンはそれに熱狂し、その熱狂をフジテレビは放送した。
どうして当時できた事が近年難しくなっているのかと言えば、PRIDEは人類の最強を決めるステージだったが、17年前の悪夢によってUFCが世界一を決めるステージに取って代わってしまったからだ。
国内の興行で当時と同じ熱を感じさせることは難しいし、じゃぁ何を地上波で茶の間に届けるんだとなった時に、選手の実力よりもネームバリューで勝負する側面が多くなった事は否めない。
例えばRIZIN以下のローカルプロモーションで実力のある選手がいたとしても、注目度の高いYouTuberが数少ない試合枠を取れてしまったりする。
全ては視聴率という地上波放送の価値を満たすための作業であり、テレビ的にウケるカードを用意しなければならないという事情が、ハードコアな格闘ファンにとって陳腐なマッチメークを実現させている。
そういう意味では、2021年にフジテレビが地上波放送をした格闘技コンテンツは2回しかないが、どういうマッチメークだっただろうか。
2021年にフジテレビがゴールデンで取り扱った生中継の格闘コンテンツは6月18日の RIZIN東京ドーム大会と、大晦日RIZINだけだ。
6月の東京ドームでは那須川天心vs3人という世紀の茶番が行われ、RIZINフェザー級チャンピオン(当時)の斎藤裕の試合は第3試合で生中継がなく、同階級で王者ではない朝倉未来vsクレベルコイケがメインイベントで組まれ、ライト級タイトルマッチでさえセミファイナルだった。
プロモーションのタイトルホルダーが出場する試合や、タイトルマッチがメインイベントではない興行など、世界中を見渡しても日本くらいしかあり得ない。
選手の人気や数字があろうがなかろうが、王者に対するこの最低限の敬意さえ、地上波放送は駆逐してしまう。
例えばUFCだったら、仮にノンタイトル戦をメインイベントに持ってくるのであれば、チャンピオンはその大会に出場しない。
大晦日には那須川天心が五味隆典とボクシングエキシビジョンを披露するという悲劇も起きた。
これからボクシングに転向する那須川天心の適正体重は55kg、五味隆典の適正体重は71kgだ。
当初予定されていた吉成名高戦が流れてしまったという事はあるにせよ、オファーまでの期間も短く、五味隆典の減量もままならない状況で、そうまでしてマッチメークしなければならなかったのは、地上波生中継があったからという理由以外の何物でもない。
地上波放送は確かにライト層に露出を図る事は確かに可能かもしれない。
しかし行き過ぎたマッチメークで格闘技の本質が無視されてしまうという弊害があり、PPV放送でこれらのマッチメークは確実に減少していくだろう。
PPVを購入する多くの人々は、課金してでも本物の試合が見たいからだ。
地上波撤退で格闘技はどこへ向かっていくのか
長くその競技の認知を下支えしてきたテレビという媒体から、配信系プラットフォームにスポーツコンテンツは観戦の場を変えて行きつつある。
ボクシングでは井上尚弥や村田諒太のタイトルマッチもついに民放で放送されなかった。
しかも、それが特別な事ではなく、受け入れられている雰囲気がある。
そんな中で、格闘技が無料視聴できない事を嘆く声で一番大きいのは「格闘技と偶然の出会いがなくなる」というものだ。
興味がなかった者がたまたまテレビをつけたら格闘技が流れていて、それがきっかけで新規のファンになったり、子供が憧れを持って競技者になって行く”偶然”は確かに減って行くだろう。
テレビが”みんなが見るもの”だった時代は、限りあるエンタメの中でテレビは最強の露出ツールだった。
テレビにさえ映れば、全てが解決した。
しかし、もうそういう時代は終わったのだ。
朝倉兄弟はどうやって日本のMMAアイコンになったのか思い出してほしい。
アウトサイダー、DEEP、ROAD FCを経てRIZINにやってきたあの兄弟は確かに強かったし実績も残したが、彼らに注目が集まったのはその試合結果とともに、彼ら自身がYouTubeで自己プロモーションに成功したからだ。
筆者は2021年6月18日の東京ドーム大会を現地観戦した。
朝倉未来ファンの大勢の女性や小学生たちが三角絞めでクレベルコイケに負ける姿に涙していた。
格闘技を何度もLIVEで観戦した事があるなら、会場にいるオーディエンスがどういう種類に分類されるかは、なんとなく分かるはずだ。
ジムの関係者や家族なのか、割と第一試合からメインまでフラットに見ている筋金入りの格ヲタなのか、それともいわゆる”ライト層”と言われるビギナー達なのか。
東京ドームで朝倉未来敗北に涙する多くのファンは、筆者の見立てではビギナー達だった。
ではそのビギナー達はどこからやってきたのか。
地上波からではなく、確実にYouTubeからやってきた”新規”の格闘技ファンだ。
地上波無料放送がなくなる事が格闘技と偶然の出会いの機会を減らすのは確かな事実だが、PPV放送というのは接点をゼロにするという意味ではない。
UFCはプレリムをYouTubeで無料LIVE配信しているし、カードの裏側にあるストーリーもさまざまな動画を作って伝えているし、過去大会のアーカイブ動画もYouTubeで適宜公開している。
日本の格闘技業界は”失われた10年”でPPV大会が売れなかった記憶が強烈に刻み込まれているので、テレビの求心力を欲しがりがちだが、今と過去の一番の差は”有料版PPV放送までの間”にちゃんと顧客との接点を作る事が可能な点だろう。
YouTube、Facebook、Instagram、Twitter、TikTok、あらゆる接点で試合までの期待値を上げていき、逆にテレビでは追いかけきれなかった選手自身のパーソナルな部分にスポットを当てて、リングインした時には様々なストーリーさえもファンは一緒に背負って応援をする、そういう事が可能になったのだ。
那須川天心も武尊も確かに強いキックボクサーだが、強い者同士がただ戦うというだけではない。
6年以上の歳月をかけて組まれたこの試合には、格闘技界の長い分断の歴史や、両選手のイデオロギーの違い、ファイトスタイルの違い、ファンの種類の違いや、”あの頃”を知っていて失われた10年を体感した人たちの怨念のような感情まで、あまりにも多くの人のストーリーがもう乗っかってしまっているのだ。
両選手は口を揃えて「子供達のために」と語るが、地上波放送がなくても子供に未来を見せる事は可能だ。それは”稼げる”キックを見せる事だ。
子供達のなりたい職業にYouTuberがランクインするようになって久しいが、それは”好きな事で生きていく大人”、あるいは”自由に生きている大人”への憧れであり、その背景には”稼げる”という事実がある事を彼らはちゃんと知っている。
格闘家が戦って勝つだけでは確かに夢を見せる事はできないかもしれない。
だが、格闘技界が全体となってPPVを売って売って売りまくる事で、子供達に未来を見せる事はできるかもしれない。
そう遠くない未来に、この世紀の一戦をPPVで見たキッズ達が「那須川天心と武尊の試合を見てキックを始めた」と口にする日を心待ちにしたい。
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