3杯目の肴「大打者の持つ”氣”の正体」
プロ野球キャンプ取材in沖縄
前回に続き、今回も沖縄キャンプネタからエピソードをひとつ。
琉球朝日放送を退職後、フリーに転身。スポーツ中継の実況に活動の場を移していた店主。会社員時代以来、久々のプロ野球キャンプの現場取材とあって、少々緊張の面持ちで初日を迎えたのを覚えている。
その取材で印象に残っている2人の大打者がいる。横浜(現DeNA)ベイスターズの村田修一選手(2018年現役引退)と内川聖一選手(2022年NPB引退―2023年現役引退)である。お二方とも既に現役を退かれているが、当時のイメージを大事にしたいため、ここでは選手とさせて頂きます。
2009年。この年、第2回WBCが開催された。第1回大会で初代王座に輝いた侍JAPANは大会連覇を目指し、原辰徳監督のもと各球団から招集された代表メンバーは、例年より早めに仕上げることをテーマに日々汗を流していた。村田選手、内川選手も、大会に間に合わせるためにハイペースの調整を続けていた。
村田修一選手。2007年と2008年、2年連続でセントラルリーグの本塁打王に輝いた“松坂”世代を代表する長距離砲としてベイスターズの四番に君臨していた。2008年に開催された北京オリンピックの野球日本代表にも選出され、名実ともに日の丸を背負ったスラッガーである。またこの年、自身最多の46本塁打をマーク。五輪出場で数試合欠場するも40HR超え。生粋のパワーヒッター、その存在感は際立っていた。
内川聖一選手。2008年に打率.378で首位打者を獲得。その後、2011年にFAで福岡ソフトバンクホークスに移籍し、その年、打率.338で2度目の首位打者となった(尚、打率.378はNPBの右打者最高打率であり現在も記録は破られていない。また、セントラルリーグ、パシフィックリーグの両リーグでの首位打者は江藤真一さん(中日―ロッテー大洋など)以来、史上2人目の快挙達成となった)そして最多安打も両リーグで獲得。稀代の安打製造機として名を馳せた。
ホームランバッターと安打製造機。打撃の魅力を余すことなく発揮し続けていたお二方の声を生で聞ける機会に恵まれた事は、店主にとってこの上ない幸せな時間となった。なお、インタビュー後の記述は、お二人に直接伺う機会を逸してしまったため、店主の想像の域を出ていないことをお断り申し上げます。(取材が甘い!とお𠮟りを頂戴する覚悟で、ここからは書き記して参ります事をお許しください)
ラオウの拳とトキの拳
その瞬間は、まず2009年2月8日、村田修一選手の囲み取材で訪れた。午後の特守が終わった後、報道陣に囲まれた村田選手はWBCに向けての意気込みを述べていた。
(Q:国際大会で大事な事は?)「体調管理ですね。いつもの体調でない時に野球をやるのは難しい。北京でいい経験ができました。」「(北京の時)自分のバッティングができないのが辛かった。こんなボール、普段なら振ってないのに振ってしまったり、構えが小さくなったりしてしまった。若い選手に、帰ってから指摘された。スタイルを変えてバットに当てようとか、ここは繋ごうと意識しすぎた。いける!というボールをフルスイングできなかった。持っていけるボールはいつものスイングで運ぶ。ユニフォームが変わるだけでスタイルは変えない。今回はそうするつもりです」・・・北京五輪8試合:23打数2安打:打率.083 0本塁打0打点 7三振
国際大会の雰囲気、国際球への対応、日の丸の重圧に苦しんだ様子が伺える。だからこそ。“次は絶対に自分の形は崩さない!”という気持ちが強く滲み出たコメントだったと思う。村田選手が大事にしていた打撃哲学。それはどんなボールに対しても“フルスイング”を貫くことだと感じた。100%自分の間合いでスイングをかける事は、相手投手のレベルが上がるほど難しくなる。態勢を崩されるケースも想定しなければならないと思うが、村田選手は端からヒット狙いではなく、その先の彼方へボールを飛ばすためにバットを振る。結果、フェンスオーバーとはならずとも、最後まで納得できるスイングを貫き通す。ホームランアーティストならではの美学に溢れ、且つ自分の生きる道を示すことで退路を断ち、不退転の覚悟でWBCに臨む決意表明のように思えた。 常に強く振る事を心がけ、その圧倒的な破壊力で相手チームから畏怖されてきた村田修一選手。北斗の拳で喩えるのなら、“比類なき剛拳”。立ち塞がる者は容赦なく打ち砕くラオウといったところか。
内川聖一選手には、個人的に質問をする機会を頂いた。時に2009年2月9日。その前年のシーズンオフにスポーツニュースに出演されていた時、“シーズン中、打席でボールが大きく見えることがあった”とお話されていた事を思い出し質問させて頂いた。 (店主質問:去年、ボールがボン!と大きく見えた事があったとコメントされていた。今もその状態は継続していますか?)「たまたま、その打席でそうだっただけ。それがずーっと続いているワケじゃない。続いていたら、打率.400なんか簡単に打てちゃうんで。ピッチャーと対峙した時に、今日は打てそうとか、しんどいな、という感覚はあります。このボールはこう打てばヒットに出来そう、ホームランに出来そう、というイメージみたいなものはある。ボールが大きく見える感覚が続かないからこそ逆に面白い」
稀代のコンタクトヒッターにしてホームランも打てる内川選手。天才肌のイメージが強いが(店主の感想です)、その根幹は“フィールド上90°全てをヒットゾーンにする”という打撃理論に基づいているような気がする。かつて打撃の神様:川上哲治さんが”ボールが止まって見えた”と語っていた、というエピソードを想起されたオールドファンの方もいらっしゃると思う。”ボールが大きく見えた”、とは感じ方の違いこそあれ、ほぼ同じような事を述べているのでは、と店主は解釈する。要するに“ゾーン”に入ったアスリート特有の感覚なのだと思う。その状態が続けば続くほど、バッティングは冴えわたり無双状態と呼ばれる域に達する。それは一流になればなるほど、パフォーマンスとして発揮される。しかし意外にも、“たまたまで、ずーっと続いていない”とコメントされた。極める事の難しさ、右打者として最高打率を残した内川選手でも容易に足を踏み入れられない領域なのだと、改めて思い知らされた。この時のコメントに、「このボールは、こう打てばヒットにできそう、ホームランにできそう、というイメージみたいなものはある」とあるように、打席に入る前のイメージトレーニングを大事にされている印象を受けた。どの選手もそうしていると思うが、内川選手の場合、相手投手の投球に対するアプローチが明確なビジョンとして見えているのではないか。”どんなボールに、どのタイミングで、どのくらいの角度でバットを出せば、どの方向にどのくらい飛んでヒットになる“もちろん、狙い球はしっかり絞っているとしても、それだけでは打率.378は残せない。シミュレーションを通してイメージ出来ていればこそ体が反応し会心の当たりへと帰結する。
卓越したバットコントロールから幾度となく快打を繰り出し、観る者全てがその美技に酔いしれた内川聖一選手。対戦相手や状況の変化にいち早く対応できる引き出しを多く持ち、最高の結果を残してきた。こちらは“北斗2000年の歴史で最も華麗な技を持つ男”トキにイメージが重なる。
達人の域に達したお二方の哲学に、ほんの少しだけ触れられたような、尊い経験をさせて頂くことができた。店主みたいな者が語るのは大変おこがましいとは思いつつ、その道を極めし者のお話を伺う機会は人生において、そう何度も訪れるものではない。だからこそ。その教えを受ける若手選手には、師の域に踏み入り更に一歩先へ進んで欲しいと、期待も膨らむのかもしれない。
時は流れ、両選手は現役を退かれた。昨年の侍JAPAN王座奪回の瞬間もTVにかじりついていた店主だったが、それと同じくらい、2009年のWBCも色あせることなく記憶の真ん中に今も激闘の数々が甦る。その中心メンバーだった村田修一選手。 Stats:7試合 打率.320 2本塁打 7打点 出塁率.379 長打率.560 OPS:.939
残念ながら脚の故障で途中帰国を余儀なくされたが、その比類なき剛拳は代表クラスのパワーピッチャーを完膚なきまでに粉砕した。
一方の内川聖一選手も。 Stats:6試合 打率.333 1本塁打 4打点 出塁率.400 長打率.556 OPS:.956
その華麗なバットコントロールは並みいる好投手を攻略し諦めの境地へと誘った。正にラオウとトキの真骨頂を見る思いだった。
“出藍の誉れ”に膨らむ期待
既に村田修一さんは指導者としての道を歩まれている。2019~2022年までは讀賣ジャイアンツ、昨年からは千葉ロッテマリーンズで、主にこれからを担う若手の育成に技術と経験を惜しみなく注ぎ込む日々の中にいる。内川聖一さんも。必ずやユニフォームを身に纏って再びグラウンドに帰ってくると店主は信じている。
世界を相手に己が打撃哲学で威風堂々の活躍をされたお二人の指導を受けられる未来のスター候補生。剛拳を継承する者。華麗な技を体得する者。或いは、お二方から薫陶を受け最強打者への道を歩まんとする者。そんな兵が跋扈する日本プロ野球界が描く未来予想図。新しい時代の扉が開かれた時。打撃タイトルは、よりハイレベルな争いとなっていくに違いない。師の数字を超えるポテンシャルを持った逸材と巡り合えたなら、 “青は藍より出でて青し”その言葉の通り、打率.400、65本塁打も夢物語ではなくなるのかもしれない。優れた師に導かれし者ののみが達する境地、出藍の誉れ。達人の技がどのような形で継承されていくのか?一野球ファンとして、この新章からも目が離せない。
第二、第三の村田修一選手、内川聖一選手が産声を上げる瞬間、傍らに立つお二人の姿が目に浮かぶ。ご自分の進む道をブレずに突き進んだ2人の大打者。野球人生の第二章にどんな未来が待っているのか? やがて名伯楽と呼ばれるであろう“両師匠”のこれからに、否が応でも期待は高まる。まだ寒風が肌を刺す2024年二月、如月。キャンプ地沖縄を懐かしみながら店主の夜は更けていくのでありました。
大打者の持つ氣の正体
と。ここまで読み進められた皆さんは、 “タイトルの回収は?”と思われたことでしょう。長々と書きましたが、ここからが本題(前振り長いっつーの!)実は取材を通して感じたある不思議な現象がありました。その”正体”について東京に戻ってからあれこれ考える日々を過ごした結果、行きついた先が、 “超一流が放つオーラ”は実在するのではないか?という事だったのです。何を唐突に、と突っ込まれた皆さん。その通りだと思います。店主も、 “あの”空間に居合わせるまでは、そんな事は信じていなかった口なのですから。
各社の番記者さんに囲み取材で対応されていた村田修一選手。一介のフリーアナウンサーの店主は取材の輪の後方からやりとりを見ていました。その時感じた“大きさ”、正確には大きく見えたという圧迫感は人生初の体験となりました。ぐるっと周りを記者に囲まれた輪の中で、一際大きな山のようにそびえ立つ姿を今もはっきりと覚えています。公称:身長177cm、体重96kg(2012年のデータ)、プロ野球選手としては長身の方ではないと思うのですが、その内から発せられる氣の力が、村田選手をより大きく映し出していた、としか言いようのない不思議な光景でした。
内川聖一選手は宜野湾球場内の施設内を移動中にお話を伺えたのですが、穏やかな語り口は一見、和やかな雰囲気を醸すようでした。しかし。相手の目をしっかりみて話される丁寧な取材対応の中に、沸々と湧き上がるような静かな闘志を秘めている様子がその言葉の端々に感じ取れるほどでした。北斗の拳でラオウとトキが対決した時、実感を込めて言い放った一言。 “水面のごとく静かなるその奥底に火の激しさを持った男”この言葉が説得力を持って強く響いた瞬間でした。店主の質問に答えられる内川選手の一言一言が意思を持ち、その強烈な波動(のように感じたもの)が周囲のもの全てに影響を及ぼした。服の上から何かに射抜かれたような気がした感覚は、村田選手同様、その激しい氣の力が、不思議な現象を生み出していたからなのかもしれません。
“氣”などという曖昧なものではなく、球界トップクラスの選手だけが持つ“存在感”が強く伝わった結果だったのか。はたまた超一流を前にして、店主のビビった心が作り出した幻影だったのか。真相は今もって闇の中です。しかし。“その場”にいなければ味わう事のない感覚だけは確かに存在するのだと断言できる。それは紛れもない事実であると信じるに足る経験だったように思えてなりません。
はっきり言えるのは。店主には野球の才など露ほどもないのですが、それはさておき。18.44mの距離を挟んで、もし対峙する事があるとしたら。間違いなく、大打者の持つ凄まじい氣の嵐に巻き込まれ、ビビり倒してしまい投げる前に勝敗は決してしまうでしょう。平常時(メニュー間の移動中のため安静時とは異なりますが)でこの迫力。実際、打席に立ち集中力が高まったら、その威力はどこまで跳ね上がるのか?想像も出来ません。
その昔。偉大なホームランバッターの王貞治さんと対戦した多くの好投手が、“打席の王さんの気迫に圧倒された”という体験を語っていたことを、ふと思い出しました。店主の肌感覚は、“当たらずとも遠からず”なのかもしれません。相手を居竦ませ戦う前に土俵を割らせてしまう。大打者が身に纏ったオーラの正体は、そんな凄まじいまでの闘氣が具現化したものだと店主は考えます。その氣と同等の氣を持つ投手と相対した時、マウンドとバッターボックスを挟んだ空間で両者の気迫と気迫が激しくぶつかり合う。名勝負はそんなシチュエーションで紡がれていくからこそ、何年時を経ても色あせる事なく語り継がれていくのだと思います。2024年も。プロ野球でこんな瞬間に立ち会える幸運に恵まれた野球ファンは、万雷の拍手をもって雌雄を決した両雄を称え、心に刻まれた名シーンはやがて伝説となり、一人一人の語り草となって歴史の1ページを飾ることになるでしょう。
プロ野球誕生から今年で90年。新たな伝説の立役者の登場を待ちわびながら、冬から春へ季節は移ろう。その胎動は、もう始まっているのかもしれない。
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