【カポエイラってなに?】ブラジル生まれの踊って戦う格闘技で見つける生きる術と喜び

Olá!はじめまして!

カポエイリスタの久米宏幸といいます。国内外のカポエイラコミュニティでは「Borracha(ボハシャ)」というニックネームで知られています。ポルトガル語で「ゴム」という意味なのでゴム男ということになりますが、ゴムゴムのピストルは出せません(笑)

2002年に留学先のカナダで始めたカポエイラはその魅力の虜になり今年でキャリア21年となりました。21年の間にはブラジルを始めカナダ、アメリカ、ロシア、韓国、台湾、マレーシア等世界を旅して周りカポエイラを学び、広めてきました。2021年には世界カポエイラ連盟主催世界大会で優勝し、現在は高知県高知市を中心にブラジル人の妻でカポエイリスタでもある「India(インジャ)」と共に「こうちカポエイラセンター」としてカポエイラの普及に取り組んでいます。

第一回目の投稿では「カポエイラってなに?」というまだまだ多くの人が抱いている疑問の中で特に頻出する3つの質問に答えてみようと思います。

目次

カポエイラは手枷をしていた奴隷が作ったから足技中心になった?

これは恐らく一番初めに出回ったカポエイラの起源説でしょう。現在でも「この説を元にカポエイラが今ある形になったと聞いたことがある」という人は多いでしょう。しかしながら昨今ではこの説はあまり信憑性がないと言われています。

一つは「奴隷達の手枷、足枷は労働中、労働前後は外されていて、手足の自由はきいた」という話があるからです。手枷足枷をされていては当然サトウキビやコーヒー豆の収穫、その他様々な労働に支障をきたします。そしてそれは生産性に関わることであり、更に過酷な労働の前後の少しばかりの時間では労働意欲が下がらないためにある程度の自由が許されていたといいます。

カポエイラが生まれた背景も謎に包まれていますが、アフリカら来た様々な文化がブラジルで混ざり合いできたとするなら、そのプロセスでは枷のない状態で練習されたと考えた方が筋が通るでしょう。

しかしながらカポエイラの起源はとにかく謎に包まれているのです・・・

カポエイラはダンス?格闘技?

ズバリ「格闘技」です!といいたいところですが様々な要素が混ざり合ったカポエイラは単純にこの二元論で語ることは難しく、カポエイラのコミュニティ内でも意見が分かれることもあります。カポエイラには、

  • 格闘
  • ダンス
  • 音楽
  • アクロバット
  • 儀式
  • 遊び

このような様々な要素が混ざり合い、その融合が一つの美しい芸術を作り出しています。ですが冒頭で「格闘技」だと書いた理由は、

カポエイラは「攻」「防」の動きを駆使した駆け引き

がベースとなっているからです。目の前の相手が攻撃を繰り出したらそれを避けながら反撃に転じます。避けなければ攻撃を喰らう可能性があり、自分が攻撃をしなければ防戦一方になってしまいます。如何に相手に対して有利に戦いを進めて行くか?頭を使いながら、攻防、格闘の駆け引きを楽しむ。それがカポエイラの醍醐味の一つです。

カポエイラは攻撃を当ててもいいの?

「当ててはいけない」というルールはありません。カポエイラの大きな特徴の一つとして「勝敗を決めない」ということがあります。ただしそれは客観的に第三者が勝敗を決めることがないというだけで、カポエイラで戦う2人の間では相手に対してより有利な立場で相手の動きを封じたり、倒したりすることから「勝敗」を意識して行なっていると言っても差し支えないでしょう。

実際にはカポエイラの戦いをすることを一般的に

Jogar Capoeira

といい、「jogar」はポルトガル語で「プレーする、ゲームする」と言った意味があります。英語なら「Play」ですね。なので

勝敗を意識して行うけれど相手をKOしたり、傷つけたりせず、美学とリスペクトを持ってプレーする

という精神が下地にある、もしくはあるべきだということは多くのカポエイリスタが賛同するでしょう。このことからカポエイラでは攻撃を当てることがあったとしても相手をKOしたり傷つけるためではなくあくまでカポエイラのゲームをより有利に進めるための戦術の一つとして必要に応じて当てることがあります。

動画で見るカポエイラ

最後に皆さんに動画でカポエイラを少し見てもらいましょう!

足技だけなのか?格闘技かダンスか?当てるのか当てないのか?

動画で確認してみてください!次回は「なぜカポエイラをするのか?」に焦点を当ててその魅力に迫ってみたいと思います。

それでは次回またお会いしましょう!

Tchau!

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この記事を書いた人

Borrachaのアバター Borracha こうちカポエイラセンター代表

2002年、留学先のカナダ、バンクーバーでカポエイラに出会う。すぐにその魅力の虜になり「Capoeira Aché Brasil」に所属し「Mestre Eclilson」の元10年修行する。持ち前の運動神経を生かしたアクロバティックでダイナミックなスタイルでバンクーバーでも数々のショーに出演。日本支部とカナダ本部を行き来しカポエイラの指導にも早くから携わってきている。 
2006年に完全に帰国し、その後2012年に「Mestre Gordo」、「Contramestre Malhado」の元独立した団体「Capoeira Aché Pernambuco」に所属し、この前後からブラジルをはじめとし、韓国、マレーシア、カナダ、アメリカ、ロシアなど世界のカポエイラシーンに修行や活動の場を広げていく。 
現在は2017年に出身である高知にUターンし地元高知県でのカポエイラの普及に尽力しながら2019年2月に自身の新しいプロジェクトとして「こうちカポエイラセンター」を設立。日本各地、台湾、韓国等のアジア諸国へ招聘されワークショップも多数開催している。2021年には世界カポエイラ連盟の開催するオンライン世界大会【Joga Maneiro】で優勝している。

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