【MLB】野球居酒屋“ぼーるぱーく亭” 6杯目の肴: 現存する“最古の”ボールパーク

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6杯目の肴: 現存する“最古の”ボールパーク

2003年9月、店主のMLB行脚始まる!

  “夢はでっかくMLB全30球場完全制覇!”壮大な旅の始まりは2003年9月8日。行先はワシントン州シアトル。稀代の安打製造機としてヒットを量産、後に日本人初のMLB3000安打(通算3089安打)の金字塔を打ち立てたレジェンド、イチロー選手が所属していたシアトル・マリナーズのホーム:セーフコ・フィールド(現Tモバイルパーク)を目指し、店主は機上の人となった。このシアトル詣でを皮切りに、以降はほぼ毎年、現地観戦に赴いてきた。今まで訪れたのはフランチャイズ15か所、スタジアムは旧ヤンキースタジアム、シェイスタジアムを含め17球場を数える。詳報はまた改めてとさせて頂くが、とりわけ思い出深かったのが2011年9月の旅だった。この年はオープン4年目のナショナルズ・パーク(ワシントン・ナショナルズ)。そして開場99年となるフェンウェイ・パーク(ボストン・レッドソックス)、新球場オープン2年目となったヤンキースタジアム(ニューヨーク・ヤンキース)、シティ・フィールド(ニューヨーク・メッツ)にてゲームを堪能。中でも翌年100年の節目を迎える事となるフェンウェイ・パークは店主の琴線をこれでもかと揺さぶるほどの強烈なインパクトを残した。

 2020年の新型コロナウイルスパンデミックを機に、MLB行脚における“旅のしおり”は一旦の編纂停止を余儀なくされた。その騒動も沈静化の方向に進み再渡米を計画し始めた矢先、今度は急激な円安に見舞われてしまった。 “ラーメン一杯3000円”の価格帯のアメリカでボールパーク巡りを続ける事は難しく、プランは一時凍結。現在、再開の目途はたっていない。が。絶対に復活させる!その強い意志を貫くため、今は臥薪嘗胆の想いで日々を只管に耐えながらチャンスの前髪を掴むタイミングを計っている。

 という事で。ここでは皆さんに13年前の古にタイムスリップしてもらって、当時の店主の目に映った現存する“最古の”野球場の景色を追体験して頂けましたら幸いと存じます。

 なお、当時の備忘録を再編集する形でお伝え致します。なるべく時系列に直す努力は致しますが、何分“備忘録”のため、ところどころ話が前後する箇所があるかもしれません。ご容赦ください。

MLB行脚2011 in BOSTON

 現存する”最古の”ボールパーク BOSTONのFENWAY PARKでゲームを観戦する。メジャーリーグと出会ったときからずっと追い続けてきた店主の夢。それが“現実”となる瞬間が訪れる。この年、シーズン終盤までタンパベイ・レイズと激しくワイルドカードを争っていたボストン・レッドソックス。ひとつも落とせないタイトロープの状況が続く中、ホームにボルティモア・オリオールズを迎えての大事な一戦となった。時に西暦2011年9月19日、店主の夢は現実へと変わった!

世紀の大失速。。。

 ボストンのフェンウェイ・パークがオープンしたのは1912年4月20日。相手は永遠のライバルチーム、ニューヨーク・ハイランダーズ(現ヤンキース)。このゲームは延長11回の末、ボストンが7-6で勝利。杮落しを白星で飾ったという。その後、幾多の名勝負、歓喜、悲劇?伝説の舞台となった。2012年に大台の祝いを控えた。 “白寿”のボールパーク。2011年も、後々語り草となるであろう悲劇が、ボストンファンを深い悲しみの淵に突き落した。レギュラーシーズン残り1か月となった9月1日の時点では、宿敵;ヤンキースに0.5ゲームの差をつけてAL東部地区の首位を快走していた。ところが。勝負所でまさかの大失速。最後のひと月は何と7勝20敗。地区優勝はおろか、一か月前には9.5ゲーム差の3位に沈んでいたタンパベイ・レイズにも強烈な“うっちゃり”を喰らって、ワイルドカードも逃してしまったのである。 “ボストンあるある”と言えばそれまでなのだが。勝つも負けるもドラマティック。それがボストン・レッドソックス最大の魅力、と店主は常々思っている。とりわけ2004年のワールドシリーズ制覇までのストーリーは、野球漫画の巨匠:水島新司先生の作品にも登場しないような波乱万丈のドラマに仕上がっている。現ドジャース監督のデーブ・ロバーツが決めた土壇場の盗塁が、ALCSの流れを大きく変える1playになるなど、誰が想像できただろうか。筋書きのないドラマ、これを地で行く怒涛のクライマックスだった(詳細はここでは割愛させて頂きます)

2011年。FENWAY初体験

 さてさて。小生のBOSTON FENWAYPARK体験記。見るもの聞くもの全てが初めての正に初物尽くし。METOROに乗り込みいざ!聖地に赴かん。最寄りのKenmore Stationで下車。球場までの道順は何となく頭には入れていたものの“いざとなったら人波に着いて行けば辿り着けるさ”と高をくくっていた。そして、その“不安”は現実のものとなる。通りに出ると、歩道の双方向に“人波”ん?と思って、はたと思い出した。この日はオリオールズとのダブルヘッダー。Game1を見終えたファンとGame2を見る観客が交差し、どちらに進んでいけばよいか?迷ってしまったのである。ここに小生の甘い目論見は脆くも崩れ去った。。。

PITTSBURGからの救世主

 “この場合、どちらに進むべきか?”と駅前のMAPに見入っていると、一組のご夫婦が声を掛けてくれた。“どうした?FENWAYに行くのか?”“そうなんだけど。。。”すると。“僕たちも今からFENWAYに行くところなんだ。良かったら、一緒に行かないか?”まさに“地獄に仏”藁にも縋りたかった店主には渡りに船!と、ご夫婦の提案に飛びついた。お二人の道案内に心から感謝しつつ、いそいそと後を着いていった。聞けば、筋金入りのBOSTONファン。Tシャツもボールパークでは売られていない、キャンプ地;フロリダ州・フォートマイヤースのデザインが入ったものだった。毎年、2月のスプリングトレーニングはご夫婦そろって観に行かれるとの事。そして。お住まいはレッドソックスの地元ボストンではなく、遠く離れたペンシルベニア州ピッツバーグから約776kmをはるばるやってきた、ということに驚かされた。National pastime(国民的娯楽)とはよく言ったもんだ。と感心しきりの店主に、“ほら、その角を左に曲がるとヨーキー・ウェイ(現ジャージー・ストリート:フェンウェイ・パークのホームプレートから三塁線に沿って伸びる通り)だよ”と旦那さんが教えてくれた。“ありがとう”とお礼を言って別れた。その夜のBOSTONの健闘を願って。

ヨーキー・ウェイ(現ジャージー・ストリート)

クラムチャウダー:その壱

 ボールパークに着くと、早速、写真撮影タイムに突入。最古のボールパークに触れた感激を画像に記録せんと、フィールド、スタンド、目につくありとあらゆるものにカメラを向けシャッターを切る。ひとしきり撮り終えると、入場してから小一時間が経過していたことに気付いた。“小腹が空いたなぁ”とコンコースに出る。ボストンと言えば。。。“そうだ!クラムチャウダーだ!!”フードコートを探してみると、あった!クラムチャウダー。レストランで出てくるような優雅な食器に盛られていたわけではなく、カップに注がれ保温器で温められていた。カップのサイズは、ちょうど日本のカップみそ汁と同じくらい。ショップの店員はとてもフレンドリー。“どこから来たの?”と勘定を待っている間に話しかけてきた。“東京。日本から来たんだ”と応じると、“私、京都に行ったことあるんだ”と食いついてきた。とうきょう⇔きょうと。語感は似ているかも。。。だがそこは異国の民。“ボストンも京都も歴史のある街は興味深いよね”と店主、何とか話を纏めて場の空気を守る。その夜の“戦利品”であるクラムチャウダーを手にシートに戻る。恥ずかしながら、これがクラムチャウダー初体験の瞬間であった。

”名物”グリーン・モンスター
モンスターズシートからの眺め
画面中央やや上段の赤いシートはテッド・ウイリアムズが打ち込んだフェンウェイ・パーク史上最長の本塁打着弾点(The Lone Red Seat)

クラムチャウダー:その弐

 カップの蓋を外し濃厚でクリーミーなシチューとご対面。ほのかに漂う海の香り。結構大粒のアサリが使われていて見た目にも食欲を刺激する一品。スプーンでよくかき混ぜて、いざ、実食!が!?ビジュアルのクリーミーさほど舌触りがしっとり、ではない。絹漉しの柔らかさを想像していた店主は思わず“硬い”とつぶやいた。でも。名物を口にするのも旅の一興。ボールパークでクラムチャウダーも乙なもの。と悦に入りながら残りを食す。のちに店主、レストランで“これぞ”という逸品に出会うのだが、この時は、まだ知る由もなし。憧れの場所で本場の味覚と信じて舌鼓を打ち満足至極の境地。西日の当たるライトスタンドが徐々に夕闇に包まれていく光景を眺めながら、ゲーム開始の時が迫る。先発は、BOSTONがジョン・ラッキー、BALTIMOREは当時24歳、若手有望株の左腕;ブライアン・マティス両投手のマッチアップ。プレイボールは19:10。ダブルヘッダーのGame1を6-5と勝利したオリオールズは一気に連勝と意気込む。Game1を落としたレッドソックスにとっては絶対に負けられない戦いが迫っていた。

LONG GAME

 かつて、スカパー!MLBライブで実況を担当していた頃、同じゲームのナビゲートを務めてくださった解説の方々からから“Long Gameのナベチョク(店主の綽名)”という、有難くない名前を頂戴したことがある。店主の担当ゲームはどういうワケか全て、とは言わないまでも、半数くらいは記録に残るほどのLong Gameになってしまったから、ここまでなら“仕方ないか”と流せるのだが。あるコメンテーターの方は店主と組みゲームが延長に突入すると決まって“ナベチョクの呪いが発動した”と物の怪の類を引っ張り出し、この“超常現象”を語ろうとした。って、あのねぇ。BOSTONの“B”の呪い(バンビーノの呪い、ビル・バックナー、バッキー・デント、アーロン・ブーンのように、名前のスペルにBのイニシャルが含まれる人物がレッドソックスに不幸をもたらした史実を踏まえて)やCUBSの“ヤギの呪い”じゃないんだから。これは、あくまで“たまたま、偶然”の産物。決して店主が物の怪の化身というわけではないので、念のため。とは言ってみたものの。FENWAY初体験となった現地9月19日の対オリオールズ戦は9回終了ながら3時間55分というLONG GAME。2011年はワシントンDCで1、ボストンで2、ニューヨークで3と合計6試合を観戦。試合時間の合計は何と21時間30分。うち2試合が延長突入!平均3時間35分。やっぱり長い?かなぁ。。。(多少、気になるデータでは、ある)

粋なusherさん

 話はFENWAY PARKに辿り着いた時間に戻る。Gate Aから中へと歩を進めると、歴史を感じさせるコンコースが広がる。そこを抜け自分のセクションの書かれたチケットを頼りにシートを目指す。スタンドへの入り口でREDSOXのロゴの入った赤いポロシャツ姿のusher(案内係)さんが、笑顔で出迎えてくれる。この方たち。お歳は召していらっしゃるが、柔和な表情から、穏やかな異国の紳士といった品の良さが感じられる。店主はその中の一人に“僕のシートまで案内お願いできますか?”と尋ねた。すぐさま“もちろん”と返ってくる。そして。SECTION/BOX 23-F50  ROW G SEAT5まで親切に道案内。“ありがとう”とお礼を言うと、“ちょっと待って”と言い、胸のポケットからスカーフを取り出す。何をするのか不思議に思い見ていると、店主のシートの上を2~3回、サッサと拭いて“さあ、どうぞ”これには感動を通り越し、“カッコいいなぁ”と溜め息が漏れてしまった。日本の野球場には何度も通ったが、未だかつて、このような気遣い、気配りをして貰ったことはない。また、ちょっと“キザ”に見えるこの行為も、彼らがやると自然に感じられる。当たり前のように職務を全うしたusherさんは、また別の来訪者のために所定の位置へと戻っていった。

店主がゲームを観戦したシート
自分のシート前で記念撮影。パスポートポーチを隠しているため腹部は若干ふくよかに写っています(;^_^A

SEESAW GAME?

 ゲームは序盤から波乱の展開。初回、BALが立ち上がりのジョン・ラッキー投手を攻め、ニック・マーケイキス選手のタイムリーとヴラディミール・ゲレーロ選手の犠牲フライ、更にシーズン途中に上原浩治投手とのトレードでテキサス・レンジャーズから加入のクリス・デービス選手にもタイムリーが飛び出し、ヨーイドン!で一気に3点を先制。BALペースの流れになるのかな?と思いきや、その裏、今度はBOSが大反撃!1点を返した後、二死二、三塁からジェド・ラウリー選手の逆転3ランホームランが飛び出す。これでスコアは4-3。が。。。ここまでの所要時間は40分以上。ゲームが始まったのが19時10分。 “一体、何時に終わるんだろう”かつて件のコメンテーター氏のから賜った?言葉が脳裏を過る。本当に“ナベチョクの呪い”なる超常現象は存在するのか?3回を終わったところで11-5、BOSがリード。先発のジョン・ラッキー投手は、2003年から2ケタ勝利を続け2011年も8月の時点で2ケタに到達。9年連続にまで記録を伸ばしている大投手(その後2017年まで15年間継続。通算188勝をマーク)立ち上がりこそ不安を残したが、ここからしっかり立て直してゲームを締めてくれるだろう。と思ったのが甘かった。4回に1点を返されると5回にも2失点。結局、4回1/3でマウンドを降りてしまった。ここまでに要した球数は実に105球。かつてエンジェルスでエースと呼ばれ、前年に14勝をマークした雄姿は“その夜”には甦らなかった。6回にもBALの勢いは衰えず。1点を返して、この時点で11-9。壮絶な打ち合いが、この先どこまで続くのか?もはや、SEESAW GAMEと呼ぶには過酷な現実がボールパークの全てを支配していた。

BALTIMORE ORIORLS vs BOSTON REDSOX ゲーム終盤の一コマ 地元ファンもややお疲れ気味

決着の時

 7回裏。BOSTON打線にようやく火が入る。3点を追加し14-9。リードを5点と広げると圧巻は7番レフトでスタメン起用されたコナー・ジャクソン選手。グリーンモンスター越えの豪快なグランドスラムをかっ飛ばす。18-9のダブルスコア。ついに勝敗が決した瞬間だった。時計の針は23時を回っていた。8回裏終了時から席を立つファンの数が増え始めた。初めての土地で電車が一体何時まで動いているのか?少々心配になり近くの人に尋ねると“大丈夫!midnight(午前0時)までは動いているから”危なかった。もう少し長引いていたら電車を逃しタクシーを拾っての移動を余儀なくされる寸前のゲームセット。安堵に胸を撫で下ろしFENWAY初体験の一夜はここに完結を見たのである。ボールパークに足を踏み入れた瞬間の感動は何処へと吹っ飛び、お決まりのようなLONG GAMEにもはや言葉を失っていた。 “やっぱりお祓いしようかな”と弱気の虫がひょっこり顔を出した。否定しようにもこの有様では。。。 “ナベチョクの呪い”の効力に抗えない運命を甘んじて受け入れるしかない事を悟った。

祝!100歳

 店主のフェンウェイ往訪から半年が経った翌2012年4月20日(現地)。FENWAYPARKはめでたく100歳の誕生日を迎えた。この日のゲームは100年前を偲び、当時と同じ時間にプレイボールがかけられた。相手も同じニューヨーク・ヤンキース。東部時間の午後3時05分。いつも見慣れたユニフォームを1世紀前のモデルに替えてのクラシカルな雰囲気。背番号もキャップのマークもない牧歌的な光景に、BASEBALLの原点を見せてもらったように思えた。日本時間は明け方の4時。眠い目をこすりながらもTV画面の向こうで展開される“古き良きアメリカ”をゆっくりと堪能した。残念ながらレッドソックスにとって記念のゲームは2-6と敗れ勝利で祝うことは出来なかった。しかし、詰めかけた36、770人のファンは、勝ち負けを超えた歴史の重みに感慨ひとしおの1日だったに違いない。“パリにエッフェル塔があるように、ボストンにはフェンウェイ・パークがある”現オーナー、ジョン・ヘンリーの言葉のとおり、“ここ”は紛れもない、BOSTONのシンボル。実際に現地に行き、見て、感じ、更にこの日の記念の一戦を見て、このスピーチの持つ意味を、味わい深く噛みしめながら、再び床に潜った店主なのでした。

フェンウェイに還る!

 冒頭にも触れたように、2020年の新型コロナウイルスパンデミック、その後の急激な円安で現在、再渡米の計画は頓挫したままになっている。あのBOSTONの感動の夜から実に13年。当時活躍していた多くの選手はユニフォームを脱ぎ、大谷翔平選手が二刀流でMLBを席巻する新章へと歴史のページは捲られた。その大谷選手を筆頭に、ダルビッシュ有投手、前田健太投手、菊池雄星投手、山本由伸投手、今永昇太投手、千賀滉大投手(現在IL、)松井祐樹投手、藤波晋太郎投手(現在IL)、鈴木誠也選手、吉田正尚選手らがチャンピオンリング獲得を目指し、日々、熱戦を繰り広げている。そんな彼らの雄姿を現存する“最古の”野球場に訪ねたい。 “働けど働けど 猶わが暮らし 楽にならざり ぢっと手を見る”の世界で日々耐え忍んではいるものの、夢や希望を持たなければ心は簡単にポキンと折れてしまう。フェンウェイに還る。この言葉を大切に、決して諦めず、いま自分に何が出来るかを日々考え、出来る事をやり切る。その積み重ねの向こうに、必ずや美味しそうに湯気を立てているクラムチャウダーが見えてくるはずだから。

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この記事を書いた人

n.b.c.k.703のアバター n.b.c.k.703 フリーランス/スポーツアナウンサー・MLB Journalist

1993年7月:全国高等学校野球選手権西東京大会にて”初鳴き”(CATV)
1997年1月:琉球朝日放送勤務(報道制作局アナウンサー)スポーツ中継、ニュース担当
琉球朝日放送退社後、フリーランスとして活動中
スポーツ実況:全国高等学校野球選手権・東西東京大会、MLB(スカパー!、ABEMA)
他:格闘技、ボートレース、花火大会等実況経験あり
MLB現地取材経験(SEA、TOR、SF、BAL、PIT、NYY、BOS他)

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