【MLB】野球居酒屋“ぼーるぱーく亭” 5杯目の肴:「42」MLB全30球団共通の永久欠番

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5杯目の肴:「42」MLB全30球団共通の永久欠番

黒人初のメジャーリーガー

 今から77年前。1947年4月15日。黒人初のメジャーリーガー、ジャック・ルーズベルト・ロビンソン(ジャッキー・ロビンソン)がMLBデビューを飾った。

ジャッキー・ロビンソンのレリーフ(クーパーズタウンのアメリカ野球殿堂博物館)

アメリカで、閉ざされていた重く冷たい扉がこじ開けられた瞬間だった。人種差別が公然とまかり通っていた当時。ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)の社長兼GMのブランチ・リッキーは白人至上主義のメジャーリーグに一石を投ずる機会を探していた。その想いに至る苦い経験が過去にあったからである。

 彼がミシガン大学で野球のコーチをしていた頃、遠征先のホテルでチームの黒人選手が宿泊を拒否されてしまった。人種差別の壁が高い時代とはいえ、未来ある若者の将来を閉ざしてしまうような、辛い思いをさせてしまった事にショックを受ける。悔し涙を流すその選手の姿が強烈な記憶として脳裏に焼き付いた。その光景を生涯忘れる事はなかった、と後年語っていたという。この臍を噛むようなやるせない気持ちが後の行動原理を形作っていく。“いつか、この青年の無念を晴らしたい”その想いが日に日に強くなり、ついに行動に移す日が訪れる。当時、ニグロリーグで活躍していたジャッキー・ロビンソンに白羽の矢を立てた。リッキーは周囲の反対に動じることなく信念を貫きロビンソンと契約を交わす。「差別も凄いだろうが相手と同じレベルに自分を落とすな」「やり返さない勇気を持つんだ」想像を絶する人種差別に打ち勝つには強い忍耐力が必要だと説いたという。名作“42~世界を変えた男~”の中でハリソン・フォード演じるブランチ・リッキーがチャドウィック・ボーズマン扮するジッキー・ロビンソンに語り掛ける。名優の重厚な演技に引き込まれた。この先の進む未来は苦難に満ちている。でも、臆して何もせず無限の可能性が閉ざされてしまう事の方が耐えられない。かつて悲劇の中で失意に沈んだ青年の想いに応える時は今なんだ!強いメッセージが観る者の胸に迫る名シーンだと店主は思う。

 敵味方の区別なく浴びせられる言葉の暴力、選手生命を脅かしかねないようなラフプレーの数々。「好かれなくてもいい。敬意もいらない。でも自分に負けたくない」逆境の中にあって、ロビンソンンの反骨心が挫けることはなかった。なぜなら、自分一人の問題ではない、黒人選手の未来が全て己の肩にかかっている事を知っていたから。その鋼のような精神が人種の壁を突き崩し、同朋の未来を切り開いた。差別や偏見に凝り固まっていた当時のアメリカ社会に風穴を開けるようにロビンソンはフィールドで躍動した。

1947年のデビューイヤーは・・・

151試合出場:打率.297 12本塁打 48打点 31二塁打 5三塁打 29盗塁 OPS:.810 

類まれなる身体能力から生み出されるスピードと瞬発力で盗塁王を獲得。見事、MLB初代新人王に選出された。

 メジャーリーグ発展の礎を築いた大偉業から10年の月日が流れた1957年1月、ロビンソンは現役引退を表明。波乱万丈の野球人生に静かに幕を下ろした。

全30球団共通の永久欠番

 球界の、いや世界の歴史を大きく変えた鮮烈なデビューから50年が経った1997年。彼の背番号「42」がメジャーリーグ全30球団共通の永久欠番となった。今後どのチームに於いても新たに背番号42のユニフォームを身に纏う事は叶わなくなった。但し、この時点で着用していた選手には特別に継続使用が認められた。ヤンキースの守護神:マリアノ・リベラが2013年に現役を引退。彼が背番号42を背負った最後の選手となった。ロビンソンの背番号に輝かしいスポットライトが当てられた日から7年後の2004年。MLBは4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と定めた。そして2009年の記念日。通常、誰も使用する事が許されない背番号「42」をつけて偉大な功績を称えよう、というバド・セリグコミッショナー(当時)の呼びかけで、全球団の選手、監督、コーチが「42」とプリントされたユニフォームでゲームを行った。2年前の2022年、デビュー75周年からは、各球団のチームカラーに関わらず、背番号が“ドジャーブルー”仕様に統一された。今年もボールパークは“その光景”に彩られた。

“国民的な背番号”の定義とは?

 毎年、TV観戦ながらゲームを観て考える。「 “42”を見ればアメリカの野球ファンは誰もがジャッキー・ロビンソンを思い浮かべる。日本にこれほどの番号があるだろうか?」ジャッキー・ロビンソンのバックグラウンドを日本に当てはめようとしても難しいのは分かる。その意味では、これほどインパクトの強い国民的な背番号はNPBには存在しないのかもしれない。強いて言うなら、戦火に散った悲運のエース:澤村栄治さんの「14」か?しかし、それならば。景浦將さん(大阪タイガース)の「6」、特攻で帰らぬ人となった石丸進一さん(名古屋軍)の「26」。他にも、先の大戦では多くのプロ野球選手が戦死されている。一人に決めることなどできようはずもない。

澤村栄治さんのレリーフ(野球殿堂博物館@東京ドーム)
景浦將さんのレリーフ(野球殿堂博物館@東京ドーム)

 では戦後の日本ではどうだろうか?高度成長期、日本国民の希望の星として、素晴らしいプレーと勝負強いバッティングで人々の心の支えとなった長嶋茂雄さんの「3」。バットから放たれる美しい放物線に敵味方なくすべての野球ファンが魅了された王貞治さんの「1」。ジャイアンツファンならば納得も出来ようが、当然、この両雄には、その行く手を阻もうと立ちはだかった他球団のライバルがいた。国鉄スワローズの金田正一さん(背番号34:後に巨人軍へ移籍。通算400勝を達成し巨人で永久欠番となる)、阪神タイガースの村山実さん(背番号11:永久欠番)、同じく阪神タイガースの江夏豊さん(背番号28)。幾多の名勝負は、こうした好敵手との死闘の果てに生まれたもの。誰か一人の番号を、とはならないだろう。やはり、国民的な背番号となるためには、ジャッキー・ロビンソンのようなグローバルな功績が必須と言わざるを得ない。

通算400勝投手・金田正一さんのレリーフ(野球殿堂博物館@東京ドーム)

Respect the legacy of great players

 ならば。せめて先人たちの偉大な功績が色褪せないよう、名を冠した賞を設けるというのはどうだろうか。MLBでは、サイ・ヤング賞の他にも、ジャッキー・ロビンソン賞(新人王)、エドガー・マルティネス賞(年間に最も活躍した指名打者)、ロベルト・クレメンテ賞(社会福祉に尽力し貢献した選手)、ハンク・アーロン賞(その年両リーグで最も活躍した打者)といったレジェンドの名を冠した賞が制定され毎年表彰が行われている。この例に倣ってNPBで作るとしたら。最多奪三振は金田正一賞、最多セーブは岩瀬仁紀賞。最多安打は張本勲賞またはイチロー賞。最多本塁打(ホームラン王)で50本以上を記録した選手にはタイトルとは別に王貞治賞として栄誉を称える、などなど(店主の勝手なイメージが多分に含まれています。ご容赦ください)沢村賞以外にも、思いつくだけで列挙できるほど、NPBの歴史も凄い選手たちによって築かれてきた。年に一度、シーズンオフの表彰式でその名を聞き、往年の名選手が活躍した現役当時に想いを馳せる。球界を席巻したヒーローを偲ぶ機会を作って頂き、彼らの名を永遠に球史に刻む。オールドファンの一人として、そんな未来が遠からず訪れる事を願う次第なのであります。

通算3085安打・張本勲さんのレリーフ(野球殿堂博物館@東京ドーム)

 そしてもう一つ。球団別の野球殿堂を創設する。MLBではアメリカ野球殿堂とは別に”チームごと”の殿堂が設けられている。実働期間が短いなど全米野球殿堂には選出されなかった選手でも、球団の歴史に名を残し、一時代を築いた“レジェンド”を表彰している。残念ながらNPBにはこのシステムがない。ないのなら、今から作る事は出来ないか?

 野球というスポーツに真摯に取り組み、ひとつの文化として昇華させ、その素晴らしさを世に広めてきた。プロ野球黎明期から今日に至るまで90年間、脈々と受け継がれてきた先達の想い。野球文化の担い手の中で、それぞれの球団の勝利に大きく貢献し、発展に尽力した選手に感謝と敬意を込めて叙勲の栄誉を贈る。その取り組みが成されていたら。プレーヤーには誉れ高き勲章が。そしてファンにはゲームを観るという本来の楽しみ方にプラスαの付加価値が付く、と店主は思う。例えばMLBのような殿堂博物館的な施設がNPB12球団のフランチャイズ球場にあったとしたら。時代を彩った名選手の愛用の品々やユニフォーム、レリーフを試合のあるなしにかかわらず愛でる事が出来る。球史に残る名勝負を演じた“もうひとつ”の主役たち。物言わぬ証言者が語り掛ける真実は間違いなく野球好きの琴線に触れるだろう。至高の対決の裏側を知る事で、かつてのヒーローに対するリスペクトも更に深まる。

 現在、東京ドームの長嶋ゲート、王ゲートに両雄のレリーフが掲げられている事。

長嶋茂雄さんのレリーフ(東京ドーム長嶋ゲート)
王貞治さんのレリーフ(東京ドーム王ゲート)

甲子園球場に隣接されている歴史館でタイガースの歴史にまつわる展示が行われている事は承知しているが、MLBのように球団別の公式行事として殿堂入りの表彰を行うとか、ヤンキースタジアムのモニュメントパークのようなファンにとっての聖地巡礼的なスポットを作るとか、レジェンドの銅像を建立するとか。チームに於いてその選手がどれほどの存在だったかを一目瞭然の形で表現してもらえたら、と一野球ファンとして思いを寄せる事がある。

ロベルト・クレメンテの銅像(ピッツバーグ・PNCパーク)

 NPB球団の功労者に対する敬意の払い方とは対照的に、ジャッキー・ロビンソンへのリスペクトから生まれたプランを次のステップに進めるために、試行錯誤を続けているMLB。両者の取り組みに若干の温度差があるのは否めない気がする。そんな現状を少し残念で寂しく感じてしまうのは店主だけ、なのだろうか?

 “見せるのは選手、魅せるのは主催者”より野球が魅力的なエンターテインメントになっていくために何を成すべきか?遠大な日本プロ野球の歴史の重さを噛みしめて、古今東西、日本全国の野球ファンをその華麗なプレーで欣喜雀躍とさせてきた先達の偉功に対し、我々が考えられうる最大級の感謝とは何か?を一人一人が自らに問いかけながら目に見える形で残していくための方向性を導き出す。プロ野球誕生から90年。やがて訪れる100年の節目を前に、大きなうねりにつながる小波を起こせるか。NPB、12球団、そしてファン。三位一体となって知恵を絞る。2024年とはかつての野球小僧たちにとって、その行動力が試される年なのかもしれない。かくいう店主も、座して誰かがもたらす変化を待つのではなく、アイデアの泉が枯れるまで最後の一滴まで絞り出す覚悟をお伝えし、今回のお品書きの結びとさせて頂きます。

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この記事を書いた人

n.b.c.k.703のアバター n.b.c.k.703 フリーランス/スポーツアナウンサー・MLB Journalist

1993年7月:全国高等学校野球選手権西東京大会にて”初鳴き”(CATV)
1997年1月:琉球朝日放送勤務(報道制作局アナウンサー)スポーツ中継、ニュース担当
琉球朝日放送退社後、フリーランスとして活動中
スポーツ実況:全国高等学校野球選手権・東西東京大会、MLB(スカパー!、ABEMA)
他:格闘技、ボートレース、花火大会等実況経験あり
MLB現地取材経験(SEA、TOR、SF、BAL、PIT、NYY、BOS他)

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