【スポーツクライミングの観点から解説】イラン女子レカビ選手、髪を覆わず競技に参戦。帰国後に拘束⁉家が解体される悲劇⁉誹謗中傷の的?

今年の10月、韓国で開催されたアジア選手権に出場したイラン女子代表、エルナズ・レカビ選手(33)。彼女がヘッドスカーフで髪を覆わず出場したことが大きな話題となった。

そして帰国後、拘束されたとか、監視されている、消息が分からない、と噂ベースでしか情報が得られず、12月に入ってBBCのニュースページに、政府の圧力によるものなのか?レカビ選手の家族の家が解体されたとの情報が入ったことで再び注目を集めた。

私は政治や宗教の専門家ではないので、ここで政治的、宗教的な意見を述べるのは控えようと思うが、スポーツ選手、クライマーとしての観点から、解説できたらと思う。

 エルナズ・レカビ選手は、1989年8月20日生まれ、33才。 2007年から国際大会に出場。保持やパワーは他選手より少し劣るものの、長い手足と柔軟や反動を生かした登りが特徴で、リードを得意としている。2019年の3種目コンバインド(東京オリンピックフォーマット)のワールドカップモスクワ大会では自身最高位3位と、表彰台に立っている。
 通常単種目、もしくはボルダリングとリードの2種目を兼ねてワールドカップに出場する選手が多い中、東京オリンピックで3種目コンバインド方式が決まる以前からリード、ボルダリング、スピードの全3種目のワールドカップに出場していたこともあり、リード以外のボルダリングやスピードも満遍なくこなせるまさにコンバインド選手。単種目のワールドカップでは、ボルダリングもリードもスピードも予選で敗退することが多かった。

 イスラムの女性が被るヘッドスカーフを『ヒジャブ』と呼ぶそうだが、レカビ選手は、問題の”被らなかった”シーンまでは、ヒジャブを被り、他の選手はタンクトップにショートパンツで挑んだ真夏大会でも肌を見せぬようにロングシャツ・ロングパンツのユニフォームで試合に挑み続けていた。そして、10月のアジア選手権で2種目コンバインド(ボルダリング&リード、パリオリンピックフォーマット)で決勝進出。決勝では ボルダリングで2完登1ローゾーン(下のゾーン)52.8ポイントの7位で、続くリード種目へ。2019年のワールドカップ3位の栄光を胸に得意のリードで挽回し、再び表彰台を狙に行きたい。33歳という年齢からも、2年後のパリまで見据えられないかもしれない・・・。これが最後の大会になるかもしれない・・・。きっと、そんな思いもあったに違いない。

ロングシャツロングパンツでビジャブを被るも
後ろ髪は覆っていないレカビ選手
レカビ選手の決勝リード種目

 レカビ選手はエンジと紺のヒジャブを黒いヘアバンドに変え、鋭い眼差しでリード壁へと歩み寄っていく。勝利をもぎ取りに行くぞというオーラをすごく感じた。そして、上部まで順調に登り、最後の残り2クリップ(カラビナ2個分)、小さいカチから少し遠い一手を狙ってフォールとなった。これが問題の”被らなかった”シーンだ。

本人は、このあと、「ヒジャブは勝手に外れた」と公にて弁明している。正直、映像を見る限りそうではないとわかるのだが、では、なぜ被らなかったのか?ヒジャブが、この勝敗をかけたリードを登るにあたって邪魔だから、パフォーマンスに支障をきたすから外しただけの理由ではない気がする。私には、何か競技の勝負以外、他にとても強い意志も働いて被らなかったとしか思えなかった。なぜ私がそう思ったのか?

ヒジャブを外して決勝のリード壁に向かうレカビ選手

 私のヒジャブの被り方のイメージは、前髪から後ろ髪をしっかりと多い、首元まで布地があり、本当に顔だけが出ているイメージだ。現にインドネシアのスピードクライミング女子選手はそのような被り方をしている。しかし、レカビ選手が出場する際、スカーフのようなふわふわした生地を三角にして頭部だけ覆い、ポニーテールにした後ろ髪は完全に見えている状態だ。

ビジャブを被ってスピード種目にて7秒台を初めて切るラハユ選手

 

それが果たして競技する上で邪魔か?と言えば、ヒジャブを普段被っていない日本人の私が突然被って登ったら邪魔だと感じるかもしれないであろうが、少なくとも、ヒジャブをかぶったインドネシアのスピードクライミング女子、かつての世界記録保持者アリエス・スザンティ・ラハユ選手はヒジャブを被ったまま競技をし0.01秒を制し女性初の6秒台への扉を開け、世界の表彰台に立っている。もしかして、外せばもっとタイムも縮むのかもしれないが。

それを踏まえると、レカビ選手のヒジャブの被り方は、どちらかというと、東京オリンピック銅メダリストの野口啓代選手が競技中もしていた、チャームポイントのスカーフの大きなヘアリボンと変わらないような感じがしてしまう。また、冬場にニット帽をかぶって高難度の岩に挑むクライマーもいることを考えた場合、やはり、レカビ選手が最後のリード種目でヒジャブを被らなかったのは、”邪魔だったから”とも考えにくい。やはり、そこにはなにか他の強い意志が感じられてならないのだ。

大きなリボンをつけて大会に挑む野口選手

イランの女子選手は他に、空手やテコンドー、バドミントン、射撃、ボートのオリンピアンがいるが、バドミントンの選手のインスタグラムを見る限り、前髪はほとんど隠すことなく、後頭部から後ろ髪を覆う程度だ。テコンドーの選手に至っては、試合後ヘッドギアを外した時の写真が出回っており、ヒジャブを付けておらず、素髪を思いきりさらし出している。しかしそれに対して誹謗中傷、非難している記事は見つからない。

髪を大胆に出し、ヒジャブの被り方がレカビ選手と違う
バドミントンのアガエイハジアガ選手

やはりそう考えると、このアジア選手権の前月にヒジャブ着用の規定違反で拘束された女性が急死した事件によってイラン国内で抗議デモが行われ国内が敏感になっていたことと、この事件に対するレカビ選手の強い思いと行動が切り取られて世界中のSNSに拡散してしまい、それに対して、レカビ選手のインスタグラムに爆発的に誹謗中傷が集まってしまった感じがする。イランの女子アスリートでインスタグラム自体を公にやっている選手も少ない中、レカビ選手のフォロワーはイラン初のバドミントンのオリンピアン、ソラヤ・アガエイハジアガ選手の2.9万人、スポーツクライミング金メダリスト、ヤンヤ・ガンブレッド選手の47.1万人を大幅に追い抜き72.5万人という莫大なフォロワーを今回の事件で得ることになってしまった。そして、そこに集まったコメントの多くは、ジャンヌダルク的な存在となったレカビ選手への称賛であるが、一方で「国家の恥」と言った誹謗中傷も止まない。ただ、その誹謗中傷の多くは、”イスラム系の男性らしき人物”からというところも注目しなければならない。

私は、インドネシアもイランも訪れたことがあり、両国のビジャブに対する扱いや女性に対する扱いの違いも肌で感じることができた。インドネシアは比較的自由な雰囲気があり、特に今でもアジア選手権は開催されているが、ビジャブをしていない女性もいるし、私たち外国の選手に競技でヒジャブの着用を強要することもなければ、男女の選手関係なく自由に観戦、応援できる。しかし、かつて17年前にイランで開催されたアジア選手権では、男女の選手は空港から別々に分かれ、ホテルも別。大会会場でも仕切りによって男女が分かれ、それぞれのパフォーマンスを見ることさえも禁止されている状態で大会が進行された。もちろん、外国の女子選手はみなヒジャブを付けた状態で競技や日常生活を行えと、大きな銃をもった警察らしき人に注意を促される。郷に入れば郷に従えとは言われるが、競技において国際的に決められたの服装、ユニフォームのルール以外のことを、開催国によってそのルールが変更されるということは、あっていいものなのか?というのは非常に議論の余地があります。またそういった国での開催というのも、困難を極めるということも、身に染みて感じました。そういった状況が現在でも続いているのではないかと考えてしまいます。

 レカビ選手のインスタグラムは帰国した10月22日を最後に更新が止まっています。今となっては本人にとってこの行動が良かったのか、どうか?私には答えが出ない。その最後の写真は、岩場のリードでフォールした後なのか?空中にロープでぶら下がったまま、パンプして張った腕をもみ、越えられなかった核心部分を悔しがりながら見上げる様子。この壁を越えられるのか?不安になりながらも、次こそは登れる!と壁に向かう恐怖を抑え込み、自信を無理やり奮い起こす。クライマーならよくある光景であり、その心の複雑な葛藤と未だ越えられない壁への挑戦への意気込みがこのたった1枚の写真から手に取るように読み取れる。その不可能に見える壁を乗り越えていく道を模索しながら見上げるモノクロの加工された写真が、いつかカラーの風景になるように・・・世界の平和を祈って。遠い国から、岩を愛するもの、クライマーの仲間として私は彼女の自由を願い続けている。

インスタグラムの更新が止まる前のレカビ選手の最後の投稿

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この記事を書いた人

プロクライマーの尾川とも子です。現在二児のママでありながら、トレーニングに励み、登り続けております。スポーツクライミングが東京2020オリンピック競技会に正式種目として追加されたことで、多くの方に競技を知っていただけるようになりました。かつて、世界大会やワールドカップ(ボルダリング)で日本人女性の選手は私しかおらず、 まだ世の中に「ボルダリング」という言葉も浸透していなかった時代を過ごし、そんな壁を乗り越えるべく、このスポーツの魅力を何とか皆さんに知ってもらいたい!と無我夢中で走り続けてきました。1978年4月14日に生まれ、 幼少から毛利衛さんに憧れ、宇宙飛行士を目指して早稲田大学理工学部応用物理学科に入学。日本で一番宇宙に近いところに行きたいと富士山を登ったことをきっかけに、登山と宇宙飛行士に通じるものを感じ取り、のめり込んでいきました。 大学在学時、より高難度の山に挑戦するためロッククライミングを始めたのがきっかけです。クライミングジムで練習時、国体山岳競技に誘われたのを機に本格的に競技の世界へ足を踏み入れることになりました。その後、命綱を使わないボルダリングに集中し、競技歴3年でアジアのトップに。 日本人女性初のプロフリークライマーとして、世界を転戦し数々の大会や高難度の岩に挑戦。1000種類の岩を登った主婦としてもメディアで取り上げられました。2008年4月には、日本人女性初の難度V12を達成。 2012年10月には世界で女性初となる難度V14を達成。2012年に世界で最も活躍したクライマーに贈られるGolden Piton賞、2014年にGolden Climbing Shoes賞を両賞とも日本人史上3人目、日本女性初の受賞。スポーツクライミング解説者、NHKのボルダリング講師を努め、「夢・挑戦の大切さ」や「クライミングから学ぶ危険回避の方法」を伝えるイベント・講演などで啓蒙活動を行う傍ら、 実際登ることできない方でも安全でゆるっとボルダリングの魅力が楽しめる『シートボルダリング』を開発。より多くの方にスポーツクライミング、ボルダリングの魅力を伝える取り組みを積極的に行っています。現在 1男1女の2児の母であり、ママさんクライマーとして、今なおトレーニングにも励んでいます。これからは、今まで培った経験を活かし クライミング・ボルダリングを通して、様様な方のお力添えになれるような活動、クライマー尾川とも子にしかできない活動をしていくことが夢です。スポーツクライミングの世界のさまざまな情報をわかりやすく皆様にお届けできればと思います。

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