10杯目の肴 荒木大輔チャンネル 公開収録に参加してきました!
2024年12月20日 金曜日
我が愛しの燕軍(東京ヤクルトスワローズ)で活躍し、通算39勝の数字以上に大きなインパクトを残した荒木大輔さん。中でも1992年の復活劇は、当時、アナウンサー試験に落ちまくっていた店主を力強く励まし、自著「復活のマウンドに命を懸けて」は心折れるたび何度も読み返したバイブルともなった。1992年9月24日の対錦鯉軍(広島東洋カープ)戦@明治神宮野球場で、当時、錦鯉軍の主砲だった江藤智さんを三振に打ち取ったフォークボールは今も鮮明に脳裏に焼き付いている。肘や腰を痛めて手術を受けること3度。復活までに要した時間は4年。自分もその不屈の闘志にあやかりたいと、負けても負けても前を向いた。荒木さんの復活から数年後、南の島の放送局から吉報がもたらされ、店主は晴れて那覇市民となったのである。
とまあ、店主の話は置いといて(笑)荒木大輔さんが配信を行っているYouTubeの「荒木大輔チャンネル」が公開収録を行う、と旧知の友人から知らせを受け、秒で申し込みを行ったのが今月上旬のこと。それから3週間近くの時間を“一日千秋”の想いで待ちわびた。そして、12月20日、収録当日を迎えた。
場所は渋谷(東京都渋谷区桜丘)にある“ばくちか”という公開スペース。18:00受付開始と告知されていたにも関わらず、店主が到着した17:30には既に順番待ちの列が出来ていた。 “良いポジション、最前列の特等席は厳しいな”と一抹の不安を抱きつつ、列の最後尾に並び開場を待った。
18:00少し前にスタッフさんが一人一人名前を確認しながら受付作業に入った。そして。入場が解禁となった18:00、前方に並んでいた人たちから“特等席”は埋まっていった。店主も、どうにか前から3列目の真ん中をゲット。公開収録後に行われる抽選会の番号カードを握りしめ静かに椅子に腰を下ろし、18:30スタートのトークライブ開演の時を待った。
公開収録スタート!
手元の時計で18:30を2分ほど回った頃、荒木大輔さんがゲストの燕軍・石川雅規投手を伴って壇上に姿を現した。場内、割れんばかりの大拍手が巻き起こる。詰めかけたオーディエンスは燕党。目の前にいるのは、かつての英雄と200勝を目指す大ベテラン。店主と同じ気持ちが会場全体を覆っていた。石川雅規投手は、燕党でなくてもその素晴らしい足跡はプロ野球ファンなら誰もが知る大投手。キャリア23年の通算成績は542登板(先発524)186勝189敗。防御率3.88。代名詞の魔球シンカー、キレのあるスライダーを武器に、カットボール、チェンジアップ、カーブといった多彩な球種で打者を翻弄する。MAX135km/hのストレートを数字以上に速く見せるテクニックを駆使し、来季24年目のシーズンに挑む。自身の目標を通算200勝に設定し、飽くなき探求心と44歳の大ベテランにして未だ衰えない向上心が大記録達成へ背番号19を突き動かしている。燕軍が誇る球界のレジェンドである。
そ、その石川投手に、当日、アクシデントが発生?! 当初、予定していた会場から変更になったことを、主催者サイドがうっかり連絡し忘れていたとのこと。石川投手は変更前の会場に向かってしまい。。。その先は本編でのトークに含まれているかもなのでネタバレは避けますが。師走の渋谷センター街を只管爆走し会場に急いだ石川投手。 “ひょっとして間に合わないかも(汗)”と思いながら走っていたそうです。兎にも角にも何とか事態は収拾され、 “ばくちか”に無事到着。ご本人も“ホント良かったです”と胸をなでおろしつつ、収録は始まったのだった。
トークライブのスタートは、石川投手のオフの過ごし方についてのお話からスタートした。プログラムは基本、ホストの荒木さんが、石川投手に質問をし、そのテーマに沿って、ご自身の経験談を披露する、という形式で進められた。その後は、野球を始めたきっかけや、小中高時代のに感じた野球の楽しさや練習の厳しさ、大学時代の恩師のお話などのテーマで、青春時代談義に花が咲き、会場も大いに盛り上がる。中でも、甲子園出場と言う共通の経験は、お二方にとって格別な思い出となって残っているとのこと。荒木さんの高校時代の“大輔フィーバー”の凄さや、石川投手が対戦した中で一番速く感じるボールを投げた某公立高校の投手についてなど、時間を忘れるくらいお二人のトークは聴衆を魅了し、会場の中に“あの夏”の空気感が再現されていくように店主には感じられた。収録中は、時に石川投手のユーモア溢れるお話に思わずの爆笑が起こったり、野球に真摯に取り組んできたエピソードに聞き入ったり。燕党には堪えられない濃密な時間を、それぞれの想いの中で心行くまで堪能した。そして。
抽選会スタート!
トークライブが終わると、お待ちかねの抽選会が始まった。店主の番号札は48。この番号が呼ばれることを切望しながら、ふと考えた。ドラフト会議で指名されるか否か、ドキドキしながら名前がコールされるのを待つ選手の心境は、正にこんな感じなんじゃなかろうか?と。いやいや、そんな大げさなものではないのは明らかだが、当日の、その時の自分のメンタルは、そんな景色と似た色に同化していたのだと思う。
抽選の商品はと言うと。直筆サインもらえる権が10名。一緒に写真撮影が出来る権が10名。直筆サイン入りのお二人の生写真プレゼントが合わせて10名(だったかな?)その他にも、燕党垂涎の品が用意され、緊張の中、石川投手が抽選箱の中に手を入れて、ドローがスタート。まずはじめは。。。直筆サインの栄誉に預かる10名の運命が“黄金の左腕”に委ねられた。41番、42番、44番。40番台のコールが続くものの、店主の48は呼ばれない。元より“クジ運”というものには、いささか自信が持てない星回り故、残りが少なくなると最早、諦めの境地に達してしまう。51番、25番。。。もう、ダメなのか?!そう思ったその時!「48番」石川投手の声が会場に響いた!当たった⁈当選?!直筆サインゲット⁈押し寄せる喜びの波動に、我を忘れかけるくらい小躍りしていたであろう店主(本人はそこまでとは思うが、自分の行動は、咄嗟の場合、第三者から見たそれとはギャップがある)一言で言えば“欣喜雀躍”といったところか。かくして、権利を掌中に収めた店主は壇上に上がりバッグの中に忍ばせていた荒木さんの本に、ご本人からサインをして頂いた。
石川投手には、 “27年前の甲子園2回戦vs浦添商業戦、沖縄の放送局勤務時代に実況させて頂きました”とお伝えする事も出来た。 “ホントですか⁈懐かしいなぁ”と17歳だった高校3年時を思い起こすような、柔らかい笑顔が印象に残った。お二方と握手もして頂き、満足この上ない心持でステージを下り、自分のシートに戻った。燕のレジェンドとお話が出来、サインも頂き、握手もして頂いた。一気に許容範囲を超えるサプライズが体中を駆け巡り、しばらくの間、思考が追い付かなかった。ふと気が付くと、少し手が震えていた。憧れの存在を前に、緊張も限界突破していたのだろう。店主もまだまだ、野球小僧、といったところか。
2025年に懸ける想い
来シーズンは、燕軍にとって特別なシーズンとなりそうだ。主砲:村上宗隆選手が再来年のMLB挑戦を控え、NPBではラストイヤーとなる。気持ち良く送り出すためには、リーグを制し、クライマックスシリーズを突破し、日本一を取り返すことが至上命題となる。そのために。出来る事は何でもやる。そう宣言した石川投手。投打の両輪として活躍してきた青木宣親選手が引退し、頼れる大ベテランに求められる落割は、今年の2倍、いや3倍となることも覚悟している、といった決意に満ちた表情だった。そんなチームのみならず、球界現役最年長投手として、後輩の門出を祝福するために、来春も自らを追い込む。年明け早々に45歳の誕生日を迎え、プロ24年目のシーズンに挑む。無理はしないで、と燕党の誰もが願うところだが、頼もしい一言に、会場は大きな拍手に包まれた。「来季、14勝します!」そう。残り14勝に迫った通算200勝。高いモチベーションは、この目標がある限り、消える事はない。小さな大投手。そう形容されることが多い石川投手。来季目標を高らかに宣言した瞬間に放たれた(ように見えた)強いオーラ。その輝きは彼の存在感を更に大きくし、そして際立たせた。背番号19を唯一無二の重みのある番号に変えていく決意。その想いが滲み出た言葉に、会場に足を運んだ燕党の誰もが、勇気を与えてもらえたのではないだろうか。師走の夜風が身に染みる週末の金曜日。だが、心の中は春の陽光に照らされたかのごとくぽかぽかだった。家路につく店主の足取りは、軽やかだった。
荒木大輔さんのYouTube:荒木大輔チャンネルは、こちらでご視聴できます↓
https://www.youtube.com/@arakidaisuke0506
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